10代のための学び考
VIEW21[中学版] ともに語る、考える。ベネッセの教育情報誌
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彫刻の娘が語る言葉を聞きたい

 思い返せば、人生の節目節目で、学問に情熱を燃やす多くの先生方と出会い、その方たちから叱咤激励を受けながら、進むべき道を模索してきたと思います。
 中学(旧制)1年生のころに学んだ家庭教師の先生もその1人でした。大阪高等学校(旧制)に通う学生でしたが、この人が大のフランスかぶれ。教科書はそっちのけで、来る日も来る日もデカルトやポアンカレの話ばかりをするんです。自分が高校で習ったことを一生懸命教えてくれたのですが、広い世界に情熱を燃やすお兄さんの存在は、心に深く刻まれました。
 終戦後は、東京の中学校に編入し、そこで有名なドイツ語学者の倉石五郎先生に学びました。1週間かけて教科書の和文独訳の演習問題を解いて持っていくのですが、先生は赤字で×をつけてくれるものの、それ以上は何も教えてくれません。どう直せばよいのか、正解は自分で考えろというわけです。勉強は自分でするもの、それが当たり前の時代でした。
 ハーバード大学では、初め、数学を専攻しました。戦争に負けようが、国が滅びようが、数学だけは不滅と考えたのです。そんな私が西洋古典学を志すようになったのは、ボストン美術館で古代ギリシャの彫刻家プラクシテレスが彫った少女の像を見たことが一つのきっかけです。ギリシャの女神像はたいてい怖い顔をしていますが、その像は違いました。少し唇を開き、何か語りかけているように見えたのです。その瞬間、私は「この娘の語る言葉を聞きたい」と思いました。
 ハーバード大学では素晴らしい先生方に巡り会い、そこで「文字のかたち」「人のかたち」を改めて学び直しました。それ以上に私の心を打ったのは、先生方の学問にかける情熱です。戦争で国を追われてもなお、命がけで学問を守り続けようとする先生方も多く、その姿から、学問の偉大さや尊さ、難しさのすべてを学びました。


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