―― なぜ、受験科目は減少傾向に進んでしまったのでしょうか?
天野 その背景には、私立大の台頭があります。'70年代中頃に、文部省は高等教育計画を始めました。それまで私立大はどんどん入学者数を増やし、1.8倍くらい水増し入学をしていた所もあったほどです。しかし、それでは教育の質が下がってしまうということで、大都市部の大学には一切入学定員の増加を認めず、地方でもごく例外的にしか認めないことにし、その代わり私立大には補助金を出すことにしました。ところが、地方からは優秀な生徒が東京のような大都市部に出てくる一方、東京の生徒は外に出ていこうとしない。大都市部には受験生が集中しますが、国公立大の収容力はわずかです。国公立大に入れない優秀な生徒は私立大に流れます。こうして私立大の偏差値が上がり、国公立大と私立大の一流大の偏差値に差がなくなったのです。
国公立大が受験の中心だった頃は、併願で受けた私立大に進んだ生徒も5教科7科目勉強していました。ですから、生徒の学力は保たれていたわけです。しかし、国公立大と私立大が対等ということになれば、5教科7科目は無理だから、と3科目で受験できる私立大に照準を合わせて勉強する生徒が、当然増えてきます。そうすると、苦しくなるのは地方の国公立大です。地方国公立大は受験生が減少してしまい、「受験科目が多すぎる。科目数を減らしてくれ」と悲鳴を上げるようになりました。そうして、5教科7科目が維持できなくなり、5教科5科目になり、ついには自由に。結局、国公立大は私立大との競争に負けたんですね。
そのときは受験科目を減らすことの深刻さに気付いていなかった。国公立大が地盤沈下するということは、同時に私立大の学生の学力も下がるということです。英語や数学といった、試験で課されている科目については試験で点数を取る能力が高いかもしれませんが、平均的に見れば下がっているはずです。
―― '90年代に入って18歳人口が急減し、大学はずいぶん入りやすくなったと言われていますが。
天野 18歳人口は、'92年のピークを境にどんどん減っていきました。そして、入ろうと思えば誰でも大学に入れる状況に近付いてきました。これでは、勉強しようというインセンティブは下がるばかりで、これまで通り受験が勉強への動機付けとしては役に立たなくなってきた。同時に、企業ではリストラが始まり、一流大学を卒業し一流銀行に勤めていた父親が、肩たたきにあって首を切られるような状況になり、「将来いい会社に入るためにいい大学に入る」という動機付けの方も、意味をなさなくなってきました。
新たな学習への動機を見つける手段を生徒に教える
受験で勉強への動機付けをできなくなった生徒に対して、新しい別の学習へ駆り立てる目標を考えなくてはいけない状況にあります。ただ私は、学校が生徒に一律に目標を与えることは難しいと思います。今は大学を出ても定職に就かず、フリーターとしてアルバイトをする若者が増えていますが、怠けているのではなく、自分の適職を探している人も少なくありません。青年期が長くなり、模索の時間が長くなっているのです。ですから、むしろどんな状況に置かれても自分である選択ができる、意志決定できる人間を育てることが必要だと思います。具体的に言えば、ある問題を解決するためには何を調べたらいいのか、あることを身に付けたいと思ったらどのような所に行って勉強すればいいのか、といった基本的なことを身に付けていく必要があるのではないでしょうか。
―― 高校の先生に一言お願いします。
天野 今、必要なのは制度以上に教師の意識改革だと思います。教育の問題はもはや、「上から下へ」という指示体系ではうまくいかなくなったということを、文部省自身も認めています。だから、規制緩和の一環として、いろいろな政策の改革が行われているのです。「上から下」がダメなら「下から上」しかありません。文部省や県の教育委員会からではなくて、問題があるなら現場の先生方がもっと、問題解決のためにはどうしたらよいか、アピールしてほしいですね。
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