随分と
時が経った話なので、登場人物の方々にはお許しをいただき、私を大きく変えた一言について振り返ってみたい。
当時、丙午生まれの生徒が高校を卒業し、その後迎える少子化時代を暗示するような数々の出来事に、このままで「鴎友丸」は大丈夫なのだろうかと不安のよぎる日々であった。そんな中、就任したI校長は事あるごとに、いわゆる中堅と話し合いの機会を持ち、中堅の意見を尊重しつつ、学校の来し方行く末を踏まえた大きな方向性を打ち出していった。しかし、この方向性をどのように具体化し教育現場に落とし込んでいったらよいのか、私には皆目見当がつかず、またしてもジリジリとする日々が続いていた。教員の平均年齢は40歳。つまり半数は私より年上であり、20年以上も同じ学校で教鞭を執っているため、それなりの経験と自信が、新しい考え方を受け入れるには大きな足かせになってしまっている、そんな教員も多かった。一方の若手は、現場に夢中で取り組み、毎日をこなすのに精一杯で、全体像を時系列でつかんだり教育界の大きな方向性を把握した上で議論をするには経験が足りないように見えた。
そんなある日、東京私学の先生方を対象とした親睦を兼ねた見学会が九州で行われ、それに参加する機会があった。宿ではT学園のS先生と同室になり、初対面にもかかわらず、多岐に渡る話をうかがうことができた。話の内容はほとんど覚えていないが、先生の包容力のあるお人柄に心を許し、思わず自分の学校の状況とイライラを愚痴っぽく露呈してしまった。それを聞いたS先生は「いやー清水さん、二-八だよ、二-八」。どんな組織、どんな集団でも十人のうち二人が頑張れば何とかなるものだ、とおっしゃるのです。「あなたがその二になればよい。あなたの生き方の問題だ」。私にはそう聞こえたのです。
そうだ、自分の生き方の問題だ。今まで、悪いのは何もしようとしない先生方であると思っていた。人のせいにしていたのだ。S先生のこの一言で心のもやもやがぐんぐんと晴れ、実に爽快な気分になっていったのだ。今まで解けなかった数学の問題が一瞬で解けたような、そんな気分でもあった。自分がやればいいのだ。
今思えば、この当たり前のことが40歳前後になっても分からなかったという情けない話である。
帰京後、エネルギーを充電してもらった後のように行動した。それまで、なかなか了解の得られなかった事案に対しても、手を変え品を変え、粘り強く提案を繰り返し、了解を得ていった。新しい試みには不安は付いて回るものである。しかしその不安と共存していこうと思うと、意外と気持ちは楽になった。ただ方向性は間違えないよう常に気を遣った。また、この変化に連動するかのように二-八の二が、三に四にと次第に大きくなっていったのは言うまでもない。
現在、S先生は理事長校長としてご活躍中であり、折に触れてご指導をいただいている。S先生との出会い、あの一言がなかったら今の自分はないと思うと未だに足を向けて寝られない。感謝である。
|