ときには、何百年も前に亡くなった、名もない学者から教えられることもあります。10年ほど前、古書店でギリシャ語によって書かれたホメロスの版本を偶然見つけました。アルドという有名な学者の手による『イリアス』『オデュッセイア』で、1517年に印刷された本です。本自体にも非常に価値があるものですが、私が心惹かれたのは、余白にびっしり書き込まれたメモの方でした。この書き込みをした人はどのような目的で、何を明らかにしようとしていたのかということに興味を持ったのです。
海外の研究者の力を借りながら、8年の歳月をかけて、ようやく最近、メモの全貌をつかむことができました。メモを書いたのはヤコブス・ホイエルという無名のオランダの学者でした。ホメロス学は18世紀中ごろから盛んに行われるようになりましたが、ホイエルはそれより100年も前に研究に取り組んでいたことがわかりました。ホイエルは余白にメモを書き込むだけでなく、印刷されたテキストに語句を補ったり、文章に区切りを入れたりしていました。その数、ざっと2000か所。古い本というのは、何度も手書きで写されていく間にどんどん原本から遠ざかり、劣化していくのが常です。ホイエルは自分の判断と理解に基づいてそれを修正し、「古いホメロス本の輝き」を再現する努力を重ねていたのです。
若い研究者や学生の中には、私の研究に対して「そんなものは道楽だ」という人もいます。でも、私はこれこそが「学問」だと思います。ここには、学問が始まるときの息づかいがあります。それを見つめることは、学問を志す者の喜びです。我々の学問は、すぐに花開くものではありません。大きな世界の中で、真実の光を見つけようと努力をし続けることが大切であり、それによって学問への情熱は絶えることなく、次代へ引き継がれていくのです。
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