私を育てたあの時代、あの出会い

浅野裕治

浅野裕治

あさの・ひろはる
理科。大野高校を経て、高志高校へ。同校で11年間勤務。その後、武生東高校へ。現在、進路指導部長を務める。

長谷川重弘

長谷川重弘

はせがわ・しげひろ
数学科。丹生高校などを経て、高志高校で18年間勤務。その後、県教育庁高校教育課などを経て、現在、丹生高校校長。

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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私を育てたあの時代、あの出会い

いつも一歩先行くあこがれの背中に「超」進学校が見えた

福井県立武生(たけふ)東高校 浅野裕治

目指すべき自分像を見つけた時、
人は大きく成長するチャンスを得ることになる。
「手を伸ばせば届きそうなのに、やっぱり届かない」
そんな絶妙な場所を歩くあこがれの先輩との出会いにより、
教師としての理想を明確にイメージしたという
福井県立武生東高校の浅野裕治先生が、
母校での11年間を振り返る。

 母校の福井県立高志(こし)高校に異動になったのは、32歳の時です。自分の高校時代を振り返ると、「勉強も部活動ももっと頑張れた」という思いがありました。後輩たちには、高校生活のすべてで存分に力を発揮してほしい。そんな気持ちで再び母校の門をくぐりました。
 高志高校に赴任した私は、まず、生徒指導部に配属されました。そこで一番存在感を示していたのが長谷川重弘先生でした。私より8歳上の長谷川先生は、この県内屈指の進学校において、生徒はもちろんほかの教師からも既に一目置かれていました。それは野球部の監督らしい大きな声と威圧感のある風貌ゆえではなく、接する者へのこまやかな心配りと一歩先を見通した指導力によるものだと私が分かるまで、それほど時間はかかりませんでした。
 長谷川先生は、私たち教師に「プラス思考でいきましょう」とよく呼び掛けました。模試の成績が芳しくなく、学年団が沈んだ雰囲気になりそうな時は、「最後に生徒が満足できる結果になればいいじゃないか」と顔を上げるように促しました。途中経過に一喜一憂しがちな私たちは、「まだまだこれから!」という先生の大きな声で大切なことに気が付きました。また、長谷川先生はいつも職員室で生徒と話し込んでいました。気持ちが高ぶった生徒にも悠然と対応する様子を、時に私たちはハラハラしながら見守ったものです。優秀ではあっても子どもの部分も残している生徒に、あくまで大人として真正面から向き合う姿がありました。
 教師としては当たり前のことだけれども決して簡単ではないことを自信を持って語り、実践する先生は、私にとってあこがれの教師像になりました。

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