地域で担っていた子育てが家庭に戻ってきたとき、親が二極化 |
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――保護者は子育てについて教育熱心な層と無関心な層とに二分しているという指摘もあります。
これは、家族のあり方の変化が影響しています。
核家族化が進んで家庭の規模が小さくなるなか、衣食住にかかわる負担の大きい家事に関しては、外食など、家の外のさまざまなサービスが発達してきました。ところが、育児だけは、家庭に戻ってきてしまったのです。
昔は、子育ては地域全体でするものでした。私は団塊の世代ですが、学校から帰ると、「行ってきまーす」と言って、地域に飛び出して遊んでいました。そこには他学年の子どもたちがいて、隣近所の大人たちもいる。そこで身体能力や好奇心が育ち、他人とのつきあい方も学びました。こうしたいわば「放牧」によって、家庭の子育ての負担は限定されていたのです。
いまではそうした地域の役割が崩壊し、家庭で子育てのすべてを負わなくてはならなくなりました。ところがそのための訓練をいまの親はどこでも受けていません。当然、親はいろいろなタイプの対応をします。
例えば、「私が全部やります」というタイプ。このタイプの場合、子どもに言うことを聞かせなければなりませんから、子育ての態度は厳しくなりがちです。そして、子どもに箔をつけさせようと習い事をいっぱいさせるなど、過剰な教育になりやすい。
あるいは、「こんな面倒くさいことはできない」と投げ出してしまうタイプもあります。家では適当にゲームやビデオを与えて、静かにしてくれればいいとなる。
いまの時代は小規模家族で、すべてをこなさなければならないので、保護者には家庭を上手に経営する能力――「ファミリーリテラシー」が求められているのに、だれにも教えてもらえずに迷っている保護者がたくさん存在するのです。 |
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▲「ファミリーリテラシー」イメージ図
「ファミリーリテラシー」とは、家事、育児、将来への蓄え、 リフレッシュ活動、近所づきあいなど、家庭経営に欠かせない諸要素を、 与えられた条件を生かしながら上手にこなしていく能力のこと。 核家族化、共働きの増加、子どもとのコミュニケーション不足、地域社会 とのつながりの希薄化で、現代のファミリーリテラシーは低下傾向にある。
※汐見先生の考えをもとに編集部にて作図 |
ファミリーリテラシーとは、家族が行う家事や育児、将来への蓄え、リフレッシュ活動、近所づきあいなどを、与えられた条件を生かして上手にこなす能力のことですが、いま、そのなかで育児のリテラシーが飛び抜けて大切になってきています。そのリテラシーのあるなしで、子どもの育ちが違ってきているのです。 |