ベネッセ教育総合研究所
特集 教室を超えて生きる国語力
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「読む力」を育むには「がまん強さ」が不可欠
 「読む」力と深く結びついているのが「がまん強さ」です。活字を追いながら本を「読む」ということは、映像と音声が向こうからどんどん飛び込んでくるテレビを見ることに比べて、はるかに忍耐力が必要な行為です。がまん強さがなければ「読む」ことはできないでしょう。がまん強さは、すべての知的活動を行ううえで欠かせないものであり、それは小学生の読書においても、われわれの研究活動においても同じです。難しい算数や数学の問題を解くとき、わからなくても粘り強く考え続ける力がなければ、すぐに諦めてしまい、答えを見たり、人に聞いたりしてしまうでしょう。それでは学力は身につきません。がまん強さとは、あらゆる学習場面にとって必要なものなのです。
 しかし今の日本では、子どもたちにがまんさせたり、強制したりすることは“よし”とされていません。子どもに厳しく接し、がまんさせたり強制したりすると、「子どもが傷つく」「子どもの個性を踏みにじってしまう」というわけです。
 「子どもの個性を尊重すべき」という主張は、一見、大いにうなずけるものに思えます。しかし、そこには大きな落とし穴があります。
  確かに、子どもに尊重すべき個性があるのは事実です。例えば、算数が得意な個性。足が速い個性。字が上手な個性。いろいろな個性があります。しかし、子どもの個性にはそのまま伸ばしてはいけない部分もあります。野菜をいっさい食べない“個性”。テレビを1日5時間見る“個性”。宿題をしない“個性”。そんな個性は尊重すべきではありません。
 もしも子どもが1日に5時間もテレビを見ていたら、親は有無を言わせずスイッチを切るべきです。家庭でテレビが消えていれば、自ずと家族の会話も増え、食卓でそれぞれが身の回りの出来事について感想を述べ合ったり、意見をぶつけ合ったりするようになるでしょう。そうすれば、ディベートの訓練が日常のなかで自然とできることになります。親との会話を通して、豊かな語彙も身につけていくことでしょう。  また、子どもが宿題を忘れるなど約束を破ったときは、先生はペナルティを与えるべきです。遊びたい気持ちを抑えて宿題をすることで、子どもの心の中にがまん強さが芽生えていきます。
 子どもには、よい教育を受けて立派な人間になる権利があります。もしも、大人が子どもの悪い個性を放置し続けるとしたら、それは子どもの権利を侵害するに等しい行為です。
   小学校の先生方々には、ぜひとも、誤った“子ども中心主義”を改め、きめ細かく、かつ厳しく、子どもたちに「読む」力をつける指導に粘り強く取り組んでいただきたいと思います。そんな先生一人ひとりの力こそが、子どもたちと日本の未来を明るくするのですから。(談)
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