特集 「考える力」を引き出す授業―理数教科からのアプローチ―

VIEW21[小学版] ともに語る、考える。ベネッセの教育情報誌
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「重ね合わせ的理解」より「発見的理解」が必要に

 私は「わかる」には、「重ね合わせ的理解」と「発見的理解」があると考えています。
 重ね合わせ的理解とは、頭のなかにモデルがあって、そのモデルに照らし合わせて答えを導こうとするやり方です。例えば、会社の社長が、新しい事業がうまくいかなくて借金を抱え込んだとき、「こんなとき先代の社長ならどうしただろう」と考えて、先代のやり方をモデルにして対処法を考えるのは、重ね合わせ的理解です。
 一方、発見的理解とは、答えが自分の外にしか存在しない場合のわかり方です。つまり、先代の社長をモデルにするのではなく、自分で自分なりの答えをつくり出し(仮説)、その仮説でうまくいくかどうかを観察してみるというふうに心を働かせながら、自ら答えを発見していくものです。
 この二つの理解のうち、これからの時代により重要になってくるのは、発見的理解です。何か新しい事態に遭遇したときには、過去のモデルは参考にはなりません。自分で状況を把握して仮説を立て、検証をし、判断を下す能力が求められます。人類はそうやって生き残ってきましたし、複雑で不透明な今の時代に必要なのもそうした力です。ベンチャー企業の社長などは、発見的理解に長けているからこそ、新しいビジネスモデルを自分で発見して、企業を成功に導いていくことができるのでしょう。
 ところが日本社会は同質社会ですから、発見的理解が育ちにくい雰囲気があります。独創的な考えが浮かび上がっても、「こんなことを言ったら、怒られてしまうかな」とか「みんなから笑われてしまうだろうな」というブレーキがかかってしまいがちです。そしてブレーキをかけ続けているうちに、発見的理解の能力が退化し、重ね合わせ的理解しかできなくなってしまうのです。
 ですから、子どもの発見的理解の能力を伸ばそうとするならば、子どもが突拍子もないことを言っても、怒ったり笑ったりせず、子どもの頭のなかにある考えをきちんと引き出して受け止める雰囲気を教室のなかにつくっておくことが大切だと思います。

図表

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