「二十歳のつどい」で創作太鼓を披露する野田中の生徒=1月8日、岩手県野田村
「二十歳のつどい」で創作太鼓を披露する野田中の生徒=1月8日、岩手県野田村
芝居も盛り込んだ創作太鼓の戯曲を披露する野田中の生徒=1月8日、岩手県野田村
東日本大震災で37人が犠牲になった岩手県野田村。村唯一の野田中学校では震災以降、創作太鼓が継承されている。被災した村を元気づけようと、演奏を始めて10年。当時の記憶がない生徒も太鼓を通じて震災を学び直し、教訓を後世へつなごうと励んでいる。
「野田村の太陽になろう」。きっかけとなったのは、当時の生徒が村に笑顔を届けたいと掲げた合言葉だった。校長や教員が思いを酌み、生徒の心のケアにもつなげようと授業で取り入れた。太鼓指導や曲は宮城県の作曲家に依頼。2013年1月から練習を始めた。
創作太鼓には基本となる譜面はあるが、表現方法は自由。曲は四つあり、震災に遭った悲しみや故郷の情景などを盛り込んだ詩が入ったものもある。生徒は震災学習などで学んだことを生かし、たたき方や詩の読み方を工夫して独自の演奏を作り上げる。
14年度から太鼓を指導する宅石忍教諭(49)は「あの日のことを知らなければ、太鼓をたたけない」と強調する。復興までの人々の努力や支援への感謝、太鼓を継承してきた先輩の思いを自分の中に落とし込み、表現することが重要だと話す。このため、当時数が足りないため廃タイヤで作った太鼓も使っている。
3年生の泉川夢羽さん(15)は「意味が込められている曲だからこそテンポや強弱を考え、皆で合わせないといけない。それが大変」と話す。当時の記憶はないが「震災を知って、今度は自分たちが伝える立場だ」と決意を示した。
太鼓は村の夏祭りなどでも演奏され、今年1月の「二十歳のつどい」では、四つの曲に芝居も入れた戯曲を初めて披露した。演奏を何度も聞いてきた村役場職員の明内和重さん(57)は「(震災当時は)なかなか前に進めなかった。太鼓が心の中の原動力になっている」と明かした。
震災の記憶がない子どもが増えていくことから、教訓をつなぐ難しさもある。宅石教諭は「いろいろな人の思いがあって始まった太鼓。これからは記憶を学び直して、何とかつないでいってほしい」と語った。