ベネッセ教育総合研究所 進研ニュース
2002.09
特集 「学力」を考えるシリーズ 3
パネルディスカッション「学習意欲をどう高めるのか?」より

価値観多様化時代の学校の役割・家庭の役割

パネリスト

麻木久仁子氏(タレント)
楚阪 博氏(東京都品川区立荏原第三中学校校長)
樋田大二郎氏(聖心女子大学文学部教授)
中野真一(ベネッセ教育研究所統括責任者(当時)
      現ベネッセコーポレーション名古屋支社支社長)

 新教育課程のスタート後も、教育改革をめぐってさまざまな議論が沸騰していますが、子どもたちの「学力低下」や「学習離れ」に関する危惧の念は、ますます強くなっています。
 ベネッセ教育総研では、昨年行った「第3回学習基本調査」をもとに、今春、東京・名古屋・福岡で教育フォーラムを開いたところ、予想以上に多くの保護者の参加がありました。保護者たちは、激しく変化する社会のなかで、わが子の教育に迷い、悩んでいる心情を吐露してくれました。
 この特集では、東京会場のパネルディスカッションの一部を紹介するとともに、調査結果のなかから、家庭環境と学力との関連を示すデータを紹介します。保護者と話し合うときの資料などに役立てていただければ幸いです。
※掲載データは、「研究所報」VOL.28『第3回学習基本調査報告書 中学生版』より

(編集室)


あさぎ・くにこ
●一九六四年東京生まれ。テレビCMでデビュー後、ドラマ、映画で活躍。現在は、ワイドショー、クイズ番組、報道番組と、幅広い分野の番組に司会やレギュラーとして出演している。一児の母。
そさか・ひろし
●一九四八年生まれ。東京都内の公立小・中学校で数学を担当する。東京都立教育研究所指導主事のとき、情報教育の推進にかかわる。一九九九年、現任校に着任し、習熟度別学習や地域の小学校との連携など、先進的な実践を試みている。
ひだ・だいじろう
●一九五五年静岡県生まれ。専門は教育社会学。ベネッセ教育総研の「学習基本調査」には、一九九〇年の第一回からかかわってきた。現在、ロンドン大学キングスカレッジで、イギリスの公教育制度について研究中。
なかの・しんいち
●長野県生まれ。一九八五年入社後、東北支社で高校生向けの大学入試情報分析を担当し、一九九一年からは名古屋支社で高校生向け大学入試情報分析責任者を務める。関東支社支社長を経て、二〇〇ニ年一月よりベネッセ教育研究所(当時)統括責任者。七月より現職に。

学習の先に見えてくるものがない…

麻木 私たちが子どものころまでは、「子どもは勉強しなければいけない」ということは、社会的なコンセンサスを得ていたと思います。しかし、今は「勉強しなさい」と言うと、子どもに「なんのために勉強するの? しなくても、人に迷惑をかけるわけじゃない…」と切り返される時代です。
 今回のベネッセ教育研究所(当時)の調査でも、子どもたちの学校外での学習時間が減るなど、「学習離れが進んでいる」という結果が出ました。まずはお一人ずつ、子どもたちの学習離れの背景にあるものをお話しください。

樋田 私は、シンガポール、日本、イギリスの三つの国の教育状況について、比較調査をしたことがありますが、IEA(国際教育到達度評価学会)の調査で常に上位を保っているシンガポールでは、卒業した学校によって生涯賃金がまったく違ってくるのです。つまり、シンガポールの社会では、勉強することと将来とが直結していて、それが見えるのです。それに比べて日本の場合は、勉強したことが将来とどのように結びつくのか、必ずしもはっきりしません。そうしたことも、学習離れの背景にあるのではないかと思います。

中野 かつての日本なら、どんなに不景気になっても公務員か銀行員なら安定した生活が送れるといわれ、不景気のときほど公務員試験は高倍率になりました。しかし、今は国家公務員の定員も二〇一〇年には現在の四分の三くらいまでに減ると言われているし、地方自治体も財政逼迫で、市町村合併に動きつつあり、そうそう職員の採用増は望めません。銀行も再編が進んで、一九九四年から約六年間で全国の銀行員の数が七万人くらい減ったといわれています。不況の長期化で大企業も採用抑制にシフトするなか、保護者もわが子に、「こういう勉強をして、将来、このような道に進め」とは言えなくなっています。高学歴が保険となる、すなわち「大学さえ出れば将来安心」という社会状況は確実に後退しており、そのような影響も学習離れとかかわっていると思います。

楚阪 教育現場にいる立場から申しますと、子どもたちが「学ぶ」ことを嫌がっているとは決して思いません。一人ひとりの子どもたちは、みんなわかるようになりたいと思っています。しかし、中学校に入るまでにかなり学力差ができていますから、周りがそれに対応してあげないと、ついていけない子は、学習から離れていってしまうのだと思います。

絶対評価は学びを見つめさせる評価

麻木 そのようななか、「ゆとり」を反映した新しい学習指導要領をめぐって、さまざまな議論が起きています。保護者としては、新学習指導要領が目指す「生きる力」や「心の教育」も大事だとは思いつつ、「分数もできない大学生がいる」と聞くと、わが子がそうなっては困ると思ってしまいます。
 さらには今年初め、文部科学大臣が「学びのすすめ」を出し、「宿題や補習を充実せよ」と言ったりして、文部科学省の主張も一貫していないように思います。保護者はそのときどきの世論に影響を受け、不安をそのまま口にしてしまいますので、それを聞いている子どもたちも混乱していると思うのですが…。

楚阪 確かに、新教育課程では学習内容が減りましたが、それは子どもを学習から解放するのが目的ではなく、基本的な内容をじっくりと学ぶ時間をとるのがねらいなんです。それが「ゆとり」です。子どもたちが生涯学習社会を生きていくのに必要な基礎・基本を学校でしっかり身につけさせていこうという姿勢には変わりがないのです。

樋田  最近の学校での学習内容は、保護者の方の子どものころと違い、体で学ぶこと、感性で学ぶことが重視されています。それに対して家庭での学習は、今回の調査でもわかったのですが、教科書にアンダーラインを引いたりするような旧来型の家庭学習が中心です。家庭学習と学校での学習のギャップが起きているので、保護者の方が不安に思われるのも理解できます。
 しかし、楚阪先生もおっしゃるように、従来から変わらない基礎・基本といわれるものも大事ですから、学校では、体験的な要素と基礎・基本のバランスをどのようにすべきか、今、模索しているところなのではないでしょうか。例えば、イギリスには、基礎・基本を取り出して学習する「リテラシー」の時間がありますし、オープンスクールを日本で最初に取り入れ、体験学習をいち早く実践してきた愛知県の緒川小学校でも、「読み書き計算」は、ドリルを使ってしっかり学習しているそうです。両方のバランスをとっていく必要があると思います。

楚阪 例えば私の学校では、数学を中心に単元の終わりごとに習熟度別学習をしています。自分の学力やペースに合ったグループで学習することで、わかること、学習することの楽しさをだれもが経験できるようにしています。この方法は、「理解度診断学習」とも言っており、自分で自分のつまずきを発見し解決することを通して、学び方を学んでいく学習でもあるのです。こういう経験を積み重ねることが、子どもたちが今後、学習を続けていくときの力となると信じています。
 なお、基礎・基本がどれくらい身についたかを、子どもにも保護者にも見えるようにしようということで、新教育課程から評価の方法も変わったんです。「目標に準拠した評価」、つまり、絶対評価になり、通知表もクラスのなかの位置関係ではなく、「一学期はこんな学習をしました。この点はまだ努力する必要があります」というように、医者のカルテのようなものになっていくのです。

麻木 絶対評価は、頑張った子どもにはそれだけの評価を与えようというところから生まれたと思いますが、一方で、みんなが頑張ればみんなが5になることもあり得るわけです。そうすると、よい意味での競争意識が生まれないのではないですか?

楚阪 相対評価から絶対評価に変えた理由は、子どもたちに他人との比較ではなく、自分の学びを見つめさせるためです。学習のなかで目標が定められていれば、子どもたちはそれに向かって努力するということが、さまざまな研究で検証されています。絶対評価は、子どもたちへの意欲づけになるはずです。

体験は家庭でこそ積ませたい

樋田 そもそも、新教育課程の基本にある「学校週五日制」の趣旨は、保護者や地域に対して、もっと家庭・子どもとかかわることを求めたものです。それと、「学力を伸ばす」ことが相反するとは思いません。
 家庭や地域で豊かに過ごすためにも、「学力」は必要だと思いますよ。例えば、地域の川に行ったとします。ただ水遊びをして終わるのではなく、「二千年前にもここに人が暮らしていて、自分と同じことを考えたかもしれない」というように思いを広げていくことを、新しい教育課程ではねらっています。そのように考える子にするためには、理科や社会科の基本的な知識が必要なのです。

楚阪 「休みになった土曜日に学校で補習をしてもらえないか」という声があります。しかし私は、そのように何かを「与える」よりも、週末の二日間を自分の頭で考えて、計画的に過ごせる子に育てていくことが大事だと思いますね。
 体験の機会に充ててもいいと思います。体験こそ、親子で一緒にすることが大事で、そのなかで親子の絆も深まるし、子どもも自分が大切にされていることを確かめられます。もちろん、家庭だけでは体験させられないこともあるので、学校でも協力は惜しみませんが、土曜や日曜の過ごし方にまで学校が手を出しすぎると、家庭や地域が工夫する余地がなくなります。
 私たち教師は、効率的な学習法を生み出し、基礎・基本の定着を図れるようさまざまな工夫をしますので、その代わり、家庭で受け持つ部分は、家庭でしっかり受け持ってほしい。学校週五日制の議論のなかで、このあたりが、はっきり言われていないのではないでしょうか。

麻木 家庭で受け持つ部分というのは、しつけのようなものでしょうか。

楚阪 それもあるのですが、例えば小学校の算数の授業で、「買い物に行き、二百円のものと五百円のものを買って、千円札を出しました。おつりはいくらですか」という問題に対して、「200+500-1000=300」という式を疑いもなく書く子がいます。思考過程はわかりますが、生活経験が足りないからこんな式になるのです。家庭で経験を積ませれば積ませるほど、学校での学習にも反映します。

中野 学校週五日制の現在、夏休みと冬休みも入れれば、学校の休業日は四五%ほどになります。その意味では、学校で学ぶべきこと、地域・家庭で学ぶべきことははっきりさせておかなければならないと思いますね。
 休日になった土曜日をどう過ごすかは、子どもと保護者の判断ですが、楚阪先生のおっしゃるように、できたら、「与えられたこと」をするだけでなく、自分で計画を立て、自分で選んで何かをするといった自主自律型の学習行動(ベネッセでは自己学習力と呼んでいます)を、子どもの発達段階に応じてとれるようなきっかけをつくる必要があると思います。この繰り返しが、社会に出たとき、自らの「課題発見力」や答えのないものに対する「課題解決力」につながると考えます。

先の楽しみのために頑張ることを教えたい

麻木 最初に話が出ましたが、そもそも、これから先、どんな人生を送るのが幸せなのか、大人にもわからなくなっています。そういうなかで、保護者としてはわが子に今日の算数の宿題を頑張らせなくてはならないわけですが、どのように動機づければいいのでしょうか。

樋田 シンガポール型の学歴社会は、もう日本にはやってこないと思います。だから、「つながり」で動機づけしていくしかないと思います。つまり、「勉強することで、何かとつながれる、それは楽しいことだ」とわからせていくしかない。

楚阪 「なぜ勉強しなければならないか」ときかれたら、子どもによって多少表現は違いますが、「よりよく生きるため。そのためには、いやな勉強もがまんしてしなくてはならない」ということを言います。

樋田 「がまんする」ことが悪いイメージにとらえられていますが、そうではないと思います。私は「キャンプ場型の学習」という表現をするのですが、家族でキャンプに行ったとき、嵐がやってきたとします。すると、家族で協力し合いながら耐え、がまんすることを覚えていきます。
 例えば、古典の文法は決して面白い勉強ではありませんが、それを理解することで古典の面白い世界が見えてくることはありますよね。そのような「ポジティブながまん」を教えられたらいいですね。その代わり保護者のほうも、目的のためには、目の前の大変なこともがまんして続けている姿を見せなくてはなりませんよね。

楚阪 子どもに「勉強しなさい」と言いながら、自分はテレビを見ている保護者は少なくありません。ちょっと厳しい言い方ですが、先に生きている大人としては、子どもが勉強している間くらいは、自分もテレビをがまんしなくてはいけないのではないでしょうか。

樋田 今回の調査でも「勉強しなさい」と保護者が頭ごなしに言うような家庭の子は、学力があまり高くないという結果になっています。「一緒に考えよう」「一緒にやってみよう」という姿勢が大事でしょうね。

学校でできること 家庭でできること

中野 子どもの興味・関心を高めるためには、「学ぶことが楽しい」と感じてもらうことが最初の動機づけになると思います。ベネッセでも、同じような興味や悩みを持った子ども同士が意見交換できるよう、国内外を問わず、空間を超えてつながることができるような支援もしていきたいと思っています。つまり従来の「地縁」とは異なる新しい「智縁」のなかで、子どもたちが将来像を描けるような仕組みができないかと考えています。

樋田 教科書の内容だけで、子どもたちが今学習していることの背後にあるものを教えられていないことが、子どもたちの「なぜ、勉強しなくちゃならないの?」という疑問にもつながっているんだと思います。将来役立つかどうかももちろん大切なんですが、「きみたちが学習していることは、こういう学問の世界とつながっているんだよ」ということを、先生方が面白く話してくれると、いいかなと思います。

楚阪 子どもは未来の創造者です。彼らをきちんとした人間に育てない限り、日本の将来が危ない。そのために、「学校でできること」をしっかり押さえて努力していきたいですね。

樋田 子どもを学校や企業に任せっきりにするのは、親としての楽しみを自ら捨てているようなものです。せっかく学校週五日制が始まり、社会でもワークシェアリングを進めているのですから、保護者の方も親の実感に基づいて、子どもとかかわってほしいなと思います。それが、社会のあり方、地域のあり方を変えていくと思います。

中野 だいぶ前ですが、大学入試センターが、各国立大学の学長に、学生のどんな力を伸ばしてやりたいかアンケートを取りました。その結果、「論理的思考力」「発想力」など、企業の人事担当者が学生に期待する力のキーワードとかなりの部分で一致していました。これは、新学習指導要領でうたっている「伸ばしたい力」と重なるものが多いのです。別の見方をすれば小さいときからの力の積み上げで、「なりたい自分」「なれる自分」に近づいたり、可能性を広げたりすることができるのです。ベネッセとしては、学校での教育と家庭での教育の橋渡しをし、子どもの進路選択や、学力と自己学習力の向上を支援したいと考えています。

麻木 学びの意味を教えるには、身近にいる大人がまず自らを反省し、もっとかかわっていく必要があると感じました。本日は、ありがとうございました。


[データの調査概要]

調査対象/全国3地域(東京23区内、四国の県庁所在地、東北地方の郡部)の中学2年生2,503名
調査時期/2001年5~6月 
 *学習到達度に関する調査は、2001年6~7月、第3回対象者の一部(1,021名)に実施
調査方法/学校通しの質問紙による自記式調査



図1 家庭環境と学力(%)  複数回答


学力上位層ほど、保護者とよく話をする傾向があることがみてとれます。また、保護者が子どもの学習や成績に関心を持ってかかわることは、学力の向上によい影響を与えていることがわかります。ただし単に「勉強しなさい」と声をかけるだけでは充分ではないようです。



図2 ふだん(月~金曜日)のテレビの視聴時間と学力階層(%)


全体として中学生のテレビ視聴時間は増えていますが、3時間以上見ている生徒は、学力上位層の44.2%に対して、下位層は69.9%にも達しています。下位層ほどよく見ていることがわかります。



図3 日常生活の中での「学習」(学力階層別)  「よくする」+「時々する」割合(%)



国語と数学それぞれの教科で学力上位層と下位層を比べてみると、「文学作品や小説・物語を読む」や「地域の図書館で本を読んだり借りたりする」などは、いずれも上位層に「する」と回答する割合が高くなっています。こうした普段の学習行動は、学力の形成に深く関係しているようです。

トップへもどる

バックナンバー

© Benesse Holdings, Inc. 2014 All rights reserved.