父が東北大工学部の教授だったこともあり、子どものころから何となく研究の世界に進もうと思っていました。私は物理や数学など基礎研究に興味がありましたが、父には「お前みたいに成績の悪い奴じゃ飯も食えない。つぶしの利く工学部に入れ」と言われました。ですから、私にしてみればいささか捨て鉢な気持ちで、父の勧める電気の分野に進みました。
それでも工学部で頑張れたのは、戦争体験によって社会貢献の強い思いがあったからです。大学1年生のときに終戦を迎え、私は日本の将来を考えました。国土が狭く資源も少ない日本は工業に頼らねば栄えないが、生半可なものでは他国にかなわない…。そこで気づいたのです。「ほかでつくっていないものを発明するのが工学部の使命。今、自分がいる工学部こそが日本を自立させるために必要なところなのではないのか」と。その思いが私の研究の原点なのです。 |