ベネッセ教育総合研究所 ベネッセホールディングス
梶田先生のご講演に対する質疑応答

ノートルダム女子大学学長
梶田叡一先生
大阪府豊中市立北条小学校校長
古川 治先生
静岡県周智郡森町立旭が丘中学校教頭
村松啓至先生
福岡大学人文学部教授
陣川桂三先生
   12/12 前へ


Q 学校はサンドバッグ状態で、教師も疲労困憊しているが…
古川先生 私はこれまでいろんな体験をさせてもらったなかで、現場では結構苦労してきたなというのが実感ですが、もともと現場とはそういうものなんだなと思います。「蓮は泥の中に咲く」といわれますが、梶田先生の「与えられた運命は愛さなければならない」という言葉に感動しています。
「明るく元気に子どもの前に立つ」ということ。この「立つ」というのは、「我の世界」で「立つ」、「我々の世界」で「立つ」ということでもあるだろうし、その日一日自分の気分が奮い「立つ」ということもあるだろうし、職場で「立つ」ということ、教育の世界で「立つ」ということもあるだろうし……と、いろいろな意味で「明るく元気に立つ」ということが自分のなかで反芻できました。
 校長という立場を何年か経験していますが、「制度疲労」を感じています。(百ます計算の)陰山先生が土堂小の校長になられたときのインタビューを読むと、彼の目から見ても、いまの現場の先生方は、「上意下達的な制度のなかで創造的な取り組みがどれだけできるのか」という意識を持ち、ニヒリスティックになっているように見えている。これは、私の見方とあまり変わりません。実際、いまも上意下達が根強いと実感します。
 15期の中教審から、「規制緩和」とか、「個性ある学校づくり」とかの方針が矢継ぎ早に出されてきました。基本の方向はその通りに進めるべきだと思います。
 ただ、学校評議員制度を創設するとか、学校診断を保護者から受ける、東京都で採用しているような人事考課制度が入る、学校週五日制など、おもちゃ箱をひっくり返したような改革政策は、一つひとつの意義はわかるし、それぞれに対して異議も出せるけれども、全体として見たときにどのようにつながっていくのかが現場にはさっぱり見えてこない。脈絡がないように思えます。
 ここ数年、文部科学省は「大本営発表」をしながら、少しずつ舵を切って方向転換を始めているが、現場では「昨日まで言っていたことが今日はもう違う」と受け取られている。マスコミには煽られる。そういったなかで、先生方は、校長、教育委員会、ひいては行政に対して不安、不審を感じている。
 脈絡なく出てくる方針をどう整理すればいいのか?
 今回の評価規準にシンボリックに表れているように、国立教育政策研究所が方針を出せば、これまでは都道府県教育委員会で、一定の都道府県レベルの案を出して市区町村に示していた。それが良かったか悪かったかは別にして、少なくとも評価規準で言えば、今回、福岡、京都、静岡などいくつかの自治体では自前の、身の丈にあったものをつくって先生方に提示してきた。ところが多くの市町村では、これまであてがいぶちの教育政策でやってきたためそういう力がない。その結果、「自由に学校独自のものをつくれ」と丸投げをしている。
 梶田先生がおっしゃったように、行政の政策転換などやマスコミの動向に惑わされない教育観、生き方を持たないとダメだということをつくづく感じている。
 自分の学校の目線で見ると、学力が低下している。教師の指導力が落ちている。子どもの学力が二極化している。学校に来ない子どもたちも増えている。そして学校は学校に来ない子どもたちにも目を向けなくてはならない。だから、二極化どころか、子どもの生活は三極化しているともいえる。公立学校はサンドバッグのような状態にある。
 かつて学校に苦情が来るのは、子どもの事故やケガのときでした。それが、教育評価の開示があって以来、指導要録や内申書、学級会計-それは公務で使ったんですか先生の私費で使ったんですかといったことまで-、教育内容、教育方法から教師の箸の上げ下ろしまで、あらゆることを保護者が見せてほしいとか説明してくれとかと言ってくる。
 教師のほうは、学校は「公立機関の教育サービス」だと思っているが、保護者は公立機関だなんて思っていない。子どもに口当たりのよい教育を与え、顧客を満足させるための民間サービス機関だと思っている。だから、保護者の意に添わない場合は、苦情を言ってくる。
「個性を生かす教育」とか「学校の特性」といった美名のなかで「勝ち組」「負け組」がはっきりしてきているので、保護者の意識が大きく変わってきている。
 かつては子どもが「我の世界」ですけれどもいまは親が「我の世界」。とくにお母さんが非常に若くなってきている。40代以上のお母さんは、山口百恵世代。「学校はよくやってくれてありがとうございます」と言ってくれる。ところが30代の松田聖子世代のお母さんになると、「わたしの子どものために、わたしのために」という要求がどんどん強くなる。いまはそれがもっと進んで20代の浜崎あゆみ世代のお母さんもいる。
 そのなかで年々教師の負担が大きくなり、ノイローゼ気味の教師も多くなり、常時学級崩壊状態のクラスはあるし、休職状態の先生も常にいる。教員の高齢化も進んでいる。親、子ども、学校を取り巻く制度政策の混乱の整理がつかない。どう乗り越えていくのか難しい。団塊の世代の教師たちがリタイアするころには一段落するのかとは思うが、もう少し積極的なヴィジョンで解決できたらなと思うのですが…。
A 教育改革は世界の趨勢だから、覚悟を決めるべし
梶田先生 確かにいまはしんどい時代だが、しばりそのものは厳しくなくなってきている。だからこそしんどいということもありますが…。
 学習指導要領が「標準」ではなくなったので、授業を学習指導要領通りやらなくてもよくなり、いろんなものを学校裁量でできる。今までなら教委から通知が来たらその通りやって、文句が来たら全部教育委員会に回せばよかったけれど、これからは自分たちで責任を被らなくてはならない。
 規制緩和はどんどん進んでいますが、要は、学校はマイペースでいけるということです。このことが学校現場にはほとんど浸透せず、「新しいしばり」として受け止められてしまっている。これは、マスコミが不安を煽るだけで、仕組みの変更を必ずしも正確に伝えていないことも一因でしょう。保護者もマスコミに煽られ、ある学校の例を知れば、「うちの学校ももっとやってほしい」と学校に持っていってしまう。また行政も、こんなに変化が激しいのに、個別の学校や教師や親に対する説明が不足している。
 そうした諸々の状況があっても、それでも進むしかない。教育改革国民会議以来の規制緩和の理念は、「ナショナルミニマムも大事だけれど、ローカルオプティマムも重要」ということです。つまり、いままでは全国どこへ行こうと、同じような教育をしていたから、なんの違和感を感じずに転校などもできた。そういうことで、実質的な子どもへの学習保障ができた。画一性が悪いと言われるけれど、画一的なものがあったから、学習の基本的な保障ができたという側面はあります。
 しかしあまりにもその面が強くなってしまい、画一ということにしばられてしまって、学校も個々の先生も創造的な取り組みができなくなりました。それを打破していくために、若干の凸凹があったっていい。都道府県、市町村、さらにいうなら、同じ町内でも、学校ごとに違いがあっていいという方向へ行こうとしています。ただし、それでも最低線は学習指導要領。しかし、具体的な子どもの育ち方は違ってよいということです。
 小・中学校では東京都品川区が先鞭をつけたし、公立高校では東京都がやろうとしている。大阪には大阪の教育があるはずだという「ローカルオプティマム」、画一的なことも大事だけれどそれ以上にクリエイティブなこと、「わが町の教育」「わが校の教育」をどうつくるかという方向になります。ただし、そこには説明責任がある。保護者にわかってもらえなければそれは「独善」ということになる。
 広島県などでは、学校ごとに学力検査の平均点を出すようになった。いままでは建前で「どこも同じ」といっていたが、同じ町の同じ小学校でも実はこれだけ違いがある、それをわかったうえで保護者は対応してくれということになる。そして、学校選択制が進み、一定の範囲で、隣町の学校に行けるようになった。あるいは、東京都の品川区のように、完全に学区域がフリーになったところもある(中学校の場合。小学校は一定の範囲で)。それは実質的な意味での学習権の保障という方向に向かっていると思います。
 長い目で見れば、理念的な意味ではとてもすばらしいことだが、大変しんどいこと。しかし先生方は、そういうなかでこれからは教育という仕事をやっていくんだという覚悟を決めなくてはいけない。受け身ではなく、主体的な気持ちを持って取り組まなくてはならないし、そういうことを保護者に理解してもらえるように繰り返し話す努力をしなくてはいけない。
 いまは過渡期なので非常にしんどいですが、これは日本だけの話ではなく、主要先進国ではどこも同じです。
 イギリスのブレア内閣の主要政策は「1に教育2に教育、3に教育だ」と言われます。教育重視は、80年代後半以降の主要先進国の流れです。日本はゆとり論議できれいごとを言っているうちに、世界に10年遅れてしまった。
 教育はお金ではなく、先生の姿勢、学校の姿勢、教育委員会の姿勢、教育行政の姿勢にかかっています。きれい事を言ってその日暮らしをすることがいちばんダメなことです。
 他国では10年以上をかけて、子どもに対して、社会が責任を持ってある一定以上の育ちを保障していくという教育重視の方向に動いてきました。例えばアメリカでは、「自由で個性的な教育が何をもたらしたか」について10年かけて問い直しました。自由で個性的な教育からは面白い活動も出てくるし子どもの目はキラキラするかもしれないけれど、学力は大幅に落ちる。問題行動は爆発的に増える。どうにもならないということになって、1980年前後には「back to the basics」つまり「基礎・基本に帰ろう」という大きな世論になり、1983年には有識者会議が『危機に立つ国家』を出して、完全に引き締めに回ったわけです。それは、日本のここ1、2年の状況と同じです。ただ、日本とアメリカの違いは、アメリカでは時間をかけての論議があり、方向転換も時間をかけてやってきた。日本はいっきにやっている。この10年の「ゆとり論議」は荒唐無稽だったけれど、その見直しに十分な説明も根回しも方法論の提示もないままにやってしまった。
 嘆いても仕方ないので、教育関係者は大急ぎで、そういう流れがあるということを認識すべき。日本だけがのんびりしているわけにはいかない。
 各国で自由で個性的な教育をやっている間に出ていたのと同じ問題が日本でも起きています。一つは、学力低下。去年までの『文部科学白書』では、学力低下についてふれないようにしていました。今年はガラッと変わって「学力低下にどう対応するか」といっている。学力低下は当然「ある」ということになってしまった。
 国立教育政策研究所の学力テストに関する発表も、最初は「学力低下しているかどうかわからない」と言っていたが、今では、同じデータを使いながら、「いろいろと問題があるから取り組まないといけない」ということになったわけです。つまり、学力低下はすでにあるんです。進行している。そして新しい学習指導要領で学習内容が3割削減されたなか、授業時数も減り、よりいっそう問題が出てくる。
 もう一つはもっと大きな問題で、1990年代、とくに後半、日本の子どもの学習意欲の低下が非常に顕著になっている。子どもは勉強で苦しんでいるのではないのです。やる気がないのです。それは、いろいろな国内調査でもわかっているし、例えばIEAが行っている算数・数学、理科の国際比較でも、明らかになっている。関心・意欲・態度にかかわる調査では、日本の子どもは主要先進国のなかでは最低になってしまった。見える学力ではまだトップレベルだが…。もっとも、昔は「トップレベル」ではなく「ダントツトップ」だった。
 ところが、例えば理科で、「学校で習った理科を家でもやってみたいと思いますか」とか、「理科そのものは好きですか」とか、あるいは「卒業してから、学校で習った理科を生かした仕事に就きたいですか」といった学習意欲を問う調査で、日本の子どもは最低。そして、同時に90年代終わりに行われたOECDの学力調査で、日本の小学生・中学生・高校生は授業以外の学習時間数は主要国で最低になっている。「日本の子どもは勉強で苦しんでいる」というようなことを麗々しく言っている間に、子どもたちは勉強をしなくなっている。
 そのような学習意欲の低下が学力の低下をもたらしている。これは重大な問題。馬を水辺に連れて行くことはできても、飲む気がなければ水を飲ませることはできない。どんなにいい授業を用意しても、子どもが「勉強って面白いな」「大事だな」「やりがいがあるな」「運命だから仕方ない、やるか」と自分で取り組む気持ちを持たなければダメ。そういう意欲が落ちているということに対する危機感がまだないのは大きな問題。これが2番目。
 3番目の問題は学校嫌いや不登校の増加で、数字のうえではこの10年で2倍以上になっている。これも危機感を持ってとらえなくてはいけない数字だと思う。昔はみんな学校が好きだった。勉強が好きかどうかは別として、学校生活は楽しかった。うちの娘なんかも「下校拒否症」だった。学校教育の関係者は自分たちが嫌われている、忌避されていることに危機感を持たなければいけない。ただ単にスクールカウンセラーを学校に配置すればいいというものではない。日常の学校生活、日常の授業そのものが、一人ひとりの子どもの心にフィットしなくなっているのだから。
 いま3点挙げましたが、そういう問題現象がこの10年で極めてはっきりと、深刻なかたちで進行してきた。これをなんとかしないと21世紀の日本の社会はめちゃめちゃになってしまう。もっというと、ご縁があって日本で生まれた子どもたちが、日本の教育を受けたために、日本の学校へ行ったために、意義のある人生を送れなくなってしまう。
 それではいけないというので、大急ぎで方向転換を図ったのが教育改革国民会議です。
一部の報道機関では、教育基本法の改正と奉仕活動ばかりを進めているようなことが書かれましたけれど、15回あった総会のなかでそれらが出たのはせいぜい1回か2回です。
 大きな歴史の分水嶺に立ち、21世紀の日本社会がどのようにあらねばならないか、日本で生まれた子どもたちが21世紀にどのように生きていけばいいかを論議したわけです。
 これから教育に関係する人、親御さんたちは、こうしたマクロの流れもよくよく理解してほしい。たしかに、この1年、しんどいことはまだまだあります。しかし、大きな流れのなかで日本も変わらねばならないという思いは持ってもらわなくてはいけない。
 ついでにもう一つ言わせてください。
 いま、先生たちがしんどいのは、人災の面もあります。会議会合がやたらと多い。書類提出がやたらと多い。これは、何重苦です。先日、某市の教委の幹部たちが集まったなかで、「新しい学校評価の書類を学校に出させる」と言われるので、私は「それは結構だけれども、提出物を学校に依頼するときには、廃止するものもセットにすべきです」と話しました。
 さらには、先生たちを集めて会合をすることは結構だけれども、それも、3分の1、4分の1に減らすべきだと言いました。本来、校長、教頭は、校内を動き回って存在感を示すべき。学校外での不用、不急の仕事をつくらないでほしい。「市教委の課題は会議と提出書類を減らすことだ」と話してきたんですが、これは文部科学省でも同じことです。会議を減らし、提出書類を減らしていかないといけない。
Q 学校はどこまで開かれるべきか?
古川先生 学校週五日制が始まってから、3分の1の子どもは土曜日に意欲的に勉強をしません。そこで、学校が土曜日に何かをできるようにサポートしていこうという動きがあります。私は、「それは本来、学校の仕事とは違う」、「地域、家庭、お互いが考えること」だと思いますが、日本の公共サービス機関は不十分だから、過渡的には学校が子どもを促したり手伝いをしていくことはあるだろうと思います。しかし、1週間を5日と2日を分けたのだから、学校の責任は5日だということをはっきりさせたい。
 かつては、土曜の午後に地域のいろんな行事が持たれ、教師たちも参加できた。今は、土曜日にも日曜日にも地域の行事は行われる。土・日に地域に出かけ、平日は学校で夜まで会議となると、管理職は過労死寸前です。
 学校システムのなかで、例えば副校長制を設けて民間人をマネジメント系で採用するとか、副教頭など地域担当を引き受ける人をおくとかしてほしい。今は、教頭、校長がいつも席にいなくて、学校を走り回っている状態です。
 それから、大阪教育大学附属池田小学校の事件以来、管理職はセキュリティ対策で時間をとられる。時間があれば校内を見回り、警備員と連絡をとっている。
 地域との関係でいえば、開き過ぎた学校になることを懸念しています。
 学校はいったい何をするところなのか。子どもたちの学習時間の低下、意欲低下、そういうことを考えれば、先生方が教育に取り組む時間を保障していかないと。学校ができることできないことをはっきりさせる。「ノーと言える学校」でないと、きりがない。
 21世紀における公立学校、とくに義務教育段階の学校の役割とはなんでしょうか。
 口当たりのいい政策がどんどん上からおりてくるし、必要なこともあるんですが、いちいち対応していたら身がもたない。どれを対応すべきかどうか、一つの学校で判断できる材料を持たないのです。
A ノーと言える学校になりたい
梶田先生 「家庭と地域と学校が連携しましょう」というのが、いちばん危険です。
 むろん、連携は必要です。しかし、学校・家庭・地域の3者のうち、プロとして教育にかかわっているのは学校だけです。地域は地域の動きがあり、その一部分として学校とのかかわりがある。家庭でも、朝から晩まで子育てのことを考えているわけではない。朝から晩まで子育てのことを考えているのは、学校だけです。
 3者が連携するとなると、学校には新しい仕事が入ってくることになる。「ノーと言える学校」でなければならない。
 学校というのは、最低限何をするところか? 学校は勉強を教えるところで、勉強を好きにさせるところ。いろんなことがわかり、それを通して人間的な成長を促すところ。今、その根幹をゆるがせにするような二次的三次的な仕事が多くなっている。管理職に負担がかかりすぎている。できるだけスリムにしていくべきです。
 学校は開かれるべきだが、物理的に開いていたら、今は危険きわまりない。学校評議員制に引きずられていたら、一貫した学校経営はできにくい。地域・家庭との連携をムードで流されず、何が学校に、それぞれの教師にとって大事か、優先順位をはっきりすべきです。
 
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