ベネッセ教育総合研究所 ベネッセホールディングス
梶田先生のご講演に対する質疑応答

ノートルダム女子大学学長
梶田叡一先生
大阪府豊中市立北条小学校校長
古川 治先生
静岡県周智郡森町立旭が丘中学校教頭
村松啓至先生
福岡大学人文学部教授
陣川桂三先生
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梶田先生のご講演に対する質疑応答
Q なぜ評価は10~15時間に1回でいいのか?
村松先生 私は、県下でも荒れた学校として知られている中学校へ、この春教頭として赴任しました。先生方は生徒指導が大変ななかでも、夜を徹して、静岡県の評価規準をもとに、自分の学校の規準表を一生懸命につくっています。そのときに、いま梶田先生が言われた「評価は10時間に1回くらいで十分なんだ」「記録をするための評価は何にもならないというお話」はなかなかわかってもらえないのではないかと思うのですが…。つまり、「見えやすい学力」と「見えにくい学力」の把握、「向上目標」と「達成目標」の把握、そのあたりのとらえ方が先生方にとって難しいと思います。
A 指導と評価を時間単位ではなく、ユニットで考えたい
梶田先生 10時間は一つの目安です。教科によっては知識・理解・技能だけは毎時間チェックしておいたほうがいいこともある。それでも1時間や2時間はまったく評価のない時間もほしい。まず、いま先生方の頭の中にある「毎時間評価する」ということから抜け出すことです。それが10時間から15時間につながる。
 なぜ「10時間から15時間に1回」か。
 いままで日本の授業はどうしても1時間単位で考えられていました。それをしている限り、長い目で見た力がついていかない。授業を工夫すれば工夫するほど、1時間の授業にいろいろなことが入ってきて大変になる。例えば、「本時は思い切って何も考えずに、みんなやりたいことをやりたいようにやろう」なんてことができなくなる。しかし、15時間単位で考え、そのなかできちんと押さえる部分を押さえれば、残りは子どもの出方に合わせて伸縮自在にできる。長い目でみた課題追究の力などが見えてくる。そういうものは1時間ではわからない。活動が積み重なって、最後に初めて、それまでの取り組みがどう実を結ぶのかわかる。1時間ごとの評価では「一生懸命にやっていました」「真剣に取り組んでいました」「自分の課題を持っていました」といった中身のない印象批評になってしまう。
 だから、「指導と評価」、つまり、授業の設計や教材の準備、評価の仕方などをひとまとまり、ユニットとして考えようということ。その単位が10時間から15時間ということです。
 ただし、算数、数学、技術のようなもののなかには、毎日チェックする必要があるものもあるので、臨機応変が必要ですが、それは「知識・理解・技能」のある部分に限ってであって、全部に適用してはいけないのです。
Q 荒れた学校や指導のベースがない学校は何から始めるか?
陣川先生 私も現役中、村松先生のような学校をいくつも体験しました。だから、「授業のなかでする生徒指導がもっとも大事である」というのが私の信念です。
 福岡教育大学附属中学校に勤務中、梶田先生の教えをいただきながら9年間勉強して、一般の中学校に帰ったとき、子どもの声を聴きました。
「本当はわかりたかった。手を挙げたかった。けれどわからなかった。だから我慢していた。5時間黙って我慢して1日を終える生徒の気持ちが先生にわかるか」と言われました。我慢できないからつい授業中に話をして、叱られ、注意され、また我慢する。我慢できなくなってまた話す、また叱られる。何度か繰り返すうちに、先生に暴言を吐いたり暴力を振るったりしてしまうと。
 いま言われている「わかる授業」よりも、もっと次元の低い「わかる授業」も必要だと感じました。そこで私は先生方に、一つは、毎時間「今日は何をするか」をみんなにわかるように掲示することを提案をしました。それから、「目標が明確になること」「具体的になること」「焦点化すること」を実践してもらった。
 例えば、短歌の授業をするときに、短歌の内容までわかる子はちゃんと授業ができる。でも短歌を一つ覚えてくれるだけでもいい、そういうレベルの子もいる。そういう子には、休み時間も、放課後も、家庭訪問をしてでも、覚えさせた。そういうことがあると、学校の荒れはおさまってきました。これだけがすべてではありませんが、「わかる」「わからない」とは別に、「わからせてくれる先生」かどうかというのが重要だと思う。
 当時の現場には「目標分類」とか「目標分析」とか、「形成的評価」なんてなかった。それどころではなかったのです。この2、3年、やっとそういうものに取り組もうという気持ちになってきたと思っています。
A まず、「書かせる」ことから始めてみる
梶田先生 自分は授業研究を始めたばかりだけれど、先生たちにやる気もないし、子どもたちも授業に乗ってこないような学校で最初に何をやるか?
 子どもたちに書く作業をさせではどうでしょうか。どういうものでもいいからワークシートを作る。人間は、「書く」作業をすると主体的な取り組みになる。
 子どもたちが荒れていたり授業にそっぽを向いていたり、あるいは先生たちも気持ちが一致しないでおざなりになってしまっている学校は、学校での生活がすべてヒトゴトになっている。自分がそこに存在している、かかわっているという感覚を持っていない。そういう子どもたちに「書く」という作業はとてもいい。
 ワークシートから始めて、授業の最後に一行コメントを集めたりする。「今日の授業はよかった」「ここが印象に残った」とか、コメントを集めることによって、先生は自分の授業がどこまで届いたか、わかってもらえたかなどが確認できる。
 私は大学でも20年以上続けています。こちらが一生懸命準備すれば、それに見合った反応が返ってくるし、手を抜けば一目瞭然にわかる。また、「書く」ということを通じて、教室のなかで子どもがお客さんではなくて主人公だと意識できるようになる。このあたりから始めて考えてみるとよいかもしれない。
 
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