ベネッセ教育総合研究所 ベネッセコーポレーション
目標・指導・評価の観点を踏まえた学校づくりをどう進めるか
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これから小・中学校ですべきことは
司会 あと1点だけ、よろしいですか。先ほど少人数教育が意外と難しいといわれました。TTも、事前の打ち合わせがないままに行うとあまり効果がないというのはうかがっているんですが、義務教育段階で基礎・基本が大事ということになって、宿題も結構増えてきたり、朝読書をやってきているところも結構増えてきている。あるいは土曜日にも何かやろうという話もあったり、東京は学校にエアコンがだいぶ入りだしたらしいので夏休みも授業をやったほうがいいという話も出ている。小・中学校では、具体的にこれからどんなことが中心になるのか、お話いただければありがたいです。評価のことともきっと絡んでくると思うんですけれども。
陣川先生 学校の先生方、とくに実践家の先生方に聞いてみました。さっき言った算数の先生に、「算数の基礎・基本はどんなものがある?」と。すると、ある程度言ってくれます。「そのなかでも基礎・基本って何?」と聞いたら、また言います。そういう議論を、教育センターなどで、もっともっとしていく必要がある。
 それと、「学力」という言葉があるんですが、附属中学校でも「もう、学力が最近落ちてねえ」とよく言われました。公立学校でも言われました。しかし、それは同じ内容の学力を言っているんじゃないんですよね。だから、その学校での基礎・基本は何かをとらえていくことが必要になってきます。
 今度、文部科学省から、「学力向上のヒント」が出たんです。
 1つは、「主体的に学ぼうとする意欲・態度」。その中身は、「わからないところを先生に聞く」こと。2番目が「基本的生活習慣」。学力向上のためのヒントとして基本的な生活習慣をあげるのは非常に珍しいと思うんですね。中身は、「毎日朝食をとる」。3番目が「指導上の工夫」です。このなかに補充・発展が入るんですが、中身が「学習習慣を身につける」。
 そういう点から見たときに、その学校での基礎・基本を先生たちがはっきりさせておかねばらない。私が勤務していた学校では、算数・数学と、英語と国語、漢字の検定制度があり、いまでも続いています。それぞれの学校での基礎・基本を先生たちが、先生たちの手でつくっていかないといけないだろうと思います。文部科学省に頼っても、「基礎基本は、学習指導要領ですから…」そういわれてしまうと、なんとも言えない。
村松先生村松先生 おっしゃる通りで、基礎・基本についてはいろいろなことが論議されます。何をどう押さえるかが問題なんです。読み・書き・そろばんとか、百ます計算ができればいいという話もありました。しかし、それだけじゃない、関心・意欲・態度も含めた、「見える学力」「見えない学力」両面の基礎・基本が必要だということなんですよね。
 だから、4つの観点のなかで、先生方が意識できる範囲を大事にする。それを基礎・基本として呼んでいいんじゃないかと考えています。
 それとあともう1つ、読み・書き・そろばん、基本的生活習慣で、うちの学校としてとくに大事にしたい内容、先生方が意識できる範囲を、基本的な学力、基礎学力と呼んでもいいのではないかということです。
 落ち着いて考えてみると、当たり前のことなんです。先生方が意識できないものが、基礎・基本にはなり得ないんですよね。だから、共通理解できる範囲が、結局は基礎・基本の実態になっていくんです。
古川先生 例えば、朝、玄関や校門で子ども等を見ていると、いろいろな子がいます。あくびをして来る子、茶髪の子、それから髪の毛が逆立っている子、バタバタとあわてて校門を入ってくる子、朝食べてない子、食べてきても、カレーとか、フライドチキンとか、ハンバーグとか、まあ夕べの残りとか…。体育の時間、走り幅跳びをしたら、こけた拍子に手が折れる、跳び箱で手をついたら即骨折…。そんな状況を日々見ていると、子ども等には、水泳のときには休まんと、鼻たらさんと、身体焼いて、精一杯泳いでほしい。体力をつけてほしい。疲れたら夜は早う寝て、宿題して、朝ご飯食べて、うんこして、元気な表情で来てほしい。それで、先生と楽しく、授業抜けんと、ケンカせんと、過ごしてほしい。今度の教育課程も同じで、知・徳・体、それがまずきっちりしてほしいなあと、現場を預かってるとそう思いますが、それがなかなかいまは難しいですね。
司会 それは、保護者の、家庭での価値観というか、生活というか、親の意識でそうなっているんですか。
古川先生 そうですね。子どもの生活も夜型です。不況で厳しいですから、多くの家庭でお母さんも働きに行っておられる、土曜日も休みでない家庭も増えたし、子どもを十分に構ってやれない、十分な教育へのフォローの態勢もなかなかとれない家庭が増えています。経済の厳しさが非常に子どもたちに反映しているように思いますね。
陣川先生 いま、「学力低下」が言われますが、東大生の学力低下と自分の学校の学力低下と混同してしまっていると思うんですよね。
 例えば、「新聞が読める。これをうちの学校の基礎・基本としよう」としていく。そこから出発していけば、先生たちが自分の学校なり、自分の学年なりの基礎・基本というものを実感してくる。
 それについていろいろなところで話をしますと、先生たちは、授業とか、学力をつけるとか、そういうことを意識してくる。まだまだ日本の教育は転換することができるんじゃないかなと思います。
 アメリカだって、1980年代にはあんなに低迷していたのに、『危機に立つ国家』の発表から10年でまた活気が戻った。まして日本はもっとすばらしい国だから、6年か、5年で、好転するんじゃないかなと思っています。そういうような意識改革、ムードづくりをしなくちゃならないと思っています。
古川先生 子どもがトラブルを起こして数日学校を休むと、親御さんは先回りして、「うちの子どもはもう不登校に陥りそうです」というふうに走っていくわけです。ちょっと友だち同士がぶつかると、日ごろ親同士があまりおつきあいしてないから、「うちの子が、いじめられた」と、早回り、先回りする。子どもはごつごつした関係を乗り越えて人間関係をつくっていくのですが、そういう場をつくらない。それが問題なんですよね。
 先日、子どもと散歩していて、「先生はどこで生まれた?」ってきくから、「先生は家で生まれたよ」と答えると、子どもは「ええ? 病院で生まれたん違うの?」って言うんですよね。子どもにしてみれば、生まれるのは病院なんですよね。「校長先生は産婆さんにとってもらった」なんて言っても、もう子どもはなんの話かわからへんのですよね。
 私の親父は病気になっても、家で看病して、家で死んでいった。つまり、死ぬこととか、老いていくこととかを自分の家の中で見てきたんですよね。ところが今の子ども等は、生まれるのは病院、老いたら老人ホーム、で、病気しはったら病院、死んだらセレモニーホール。だから、家の中で生老病死を見ることがない。人間が生きていくという姿が何も見えへんのですよね。擬似体験ばっかりさせられて。
 だから、総合的学習ではそんなことを扱こうてほしいし、子どものなかに生きていくっていうことをもっと育んでほしい。それが、現教育課程の「生きる力」の一部や思うんですけどね。そういう、当たり前のことを当たり前に子どもに仕掛けてやることが不足している。それをどう人為的に仕掛けてやれるかが、学校の役割だと思っています。
司会 今日は長い時間ありがとうございました 。
 
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