学力低下はなぜ起きたのか?
国立学校財務センター研究部長
天野郁夫先生
受験制度は変化し、カリキュラムも緩和、
立身出世の夢も崩壊し、学習への意欲が低下
―― 学力低下が起こった背景を、天野先生はいかがお考えでしょうか?
天野 学力低下を示す現象はいろいろなところで起きています。しかし、一番問題なのは、日本の生徒の学力を支えるインフラストラクチャーが崩れはじめたことでしょう。それは、大きく分けて三つあります。一つは受験制度。もう一つが標準化されたカリキュラム。最後に立身出世のイデオロギーです。
学力を支える三つの柱が崩壊
一つ目の受験制度は、生徒たちを勉強に駆り立てるために機能してきたシステムです。二つ目は、言い換えれば、学習指導要領に基づく教科書中心の教育システム。これは、他の国に比べて非常に細かいところまで決められていて、日本中の教師が指導要領の目標を目指して教えていました。この二つが、外側から生徒の学力を支えていたわけです。そして、三つ目の立身出世のイデオロギーが勉強への動機付けになっていました。具体的には「勉強すれば、いい学校に入れて、いい会社に就職できる。社会的に地位も上がるし所得も増えていい生活ができる」というものです。実際、日本は戦後右肩上がりの経済成長を続け、これが実現される社会が長く続いていました。しかし、右肩上がりがいつまでも続くわけではなく、次第に今の地位を守るのに精一杯という状況となり、立身出世のイデオロギーも崩れてしまいました。
そして、高度成長の時代が終わり、言わば豊かな社会になった日本では、自由が求められるようになり、選択の自由が重視されるようになりました。それが、教育にも自由を、という要求につながったわけです。画一的なカリキュラムをすべての子どもに強制するのは望ましくないという考え方です。そこで、政府は規制緩和という形でそれに応えようとしてきました。例えば、学習する内容を生徒が選べるように選択科目制度を大きく取り入れるなど、生徒の能力や適性に合わせてフレキシブルに勉強できるようにカリキュラムを改訂しました。標準化されたカリキュラムは時代の要請に従った結果、崩れつつあると言えます。
―― カリキュラムの変化も確かに大きな要因の一つですが、入試の影響も大きいのではないでしょうか?
天野 そうですね。学校の教師や生徒が気にするのは、やはり「高校、あるいは大学入試で、どんな科目が課されるか」ということです。中学、高校の教育は、高校や大学の入試に大きな影響を受けています。教師は「これは入試で必要な科目だから、勉強しろよ」と指導し、生徒も勉強してきたわけです。
ところが、入試も生徒に抑圧的、強制的になってはいけないということで、可能な限りフレキシブルに、という方向に向かいました。多様な入試が認められ、入試科目を減らしたり、学力以外の面も見て入学者を選ぶようになりました。その結果、「国語と英語しか入試で課しません」というところが出てくれば、当然その2教科だけしか勉強しない生徒が出てきます。入試で学校での活動記録を見る、ということになれば、勉強よりも部活に一生懸命になる生徒も出てきます。こうして入試に必要なことしかやらない生徒が増えてきました。
5教科7科目から5教科5科目、そして自由化へ
長い間、国公立大は共通1次からセンター試験で5教科7科目を課してきました。その頃は、ほとんどの生徒の第一志望が国公立大でしたから、それは生徒にそれだけの科目数をしっかり勉強させる仕組みにもなっていました。しかし、5教科7科目では負担がかかりすぎる、と過剰負担論が言われるようになり、5教科5科目になり、現在は何科目課してもよいと自由化されたのです。
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天野郁夫
Amano Ikuo
専攻は教育社会学。国立教育研究所、名古屋大助教授を経て、'89年東京大教育学部教授。'96年より現職。東京大名誉教授。
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