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「教育の武装解除」よりも「教育の再武装化」を
―先生は教育改革国民会議のメンバーでしたが、最終報告の「教育を変える17の提案」には30点という辛い点を付けておられますね。
私は、ここ十数年、政府が主導している教育改革の動きに対して、ダメなものはダメとはっきり意見を言ってきました。教育改革国民会議の委員としても無責任な提案や独善的な意見に対して、積極的に反対意見を述べました。文部科学省は、国民会議の最終提案を基に、「21世紀教育新生プラン」を策定し、その後、実現に向けた様々な取り組みを実行に移しています。この路線で改革が進むと日本の教育は益々歪んだものになると思います。
国民会議で打ち出された最終提案には3つの特徴があります。
一つ目は「学ぶ側の論理」から「教える側の論理」への転換です。80年代以降の改革では、子どものニーズや関心に応える教育を重視し、「個性の尊重」「ゆとり教育」などが重視されました。しかし、今回の改革では、親の責任の強調や奉仕活動の義務化、「問題を起こす子どもへの教育を曖昧にしない」など、教える側の論理を強調した見直しが多く盛り込まれています。元々、私は「ゆとり教育」には反対でしたが、しかしこれでは、あまりに反動が大きくバランスを欠いていると言わざるを得ません。二つ目は、これまで以上に「選択の自由」を強調している点で、これは教育のエリート主義的再編を推し進めるものです。三つ目の特徴は、元々、国民会議には「公と個(私)との関係」の再構築が期待されていたわけですが、「公」は国家主義的、復古的な道徳主義、厳罰主義、「私」は新自由主義的、エリート主義的という、全く別の方向に分裂した提案がなされてしまいました。これからの時代に必要なのは、国家主導の改革ではなく、地域に根差した自発的な改革、個々人の自律性と共生性を前提にした改革だと思います。
―国民会議の最終報告に、「危機に瀕する日本の教育」とありますが、本当の意味での「危機」とはどのようなものだとお考えですか。
教育が危機に瀕していると言うとき、一般的には、校内暴力・いじめ・不登校・学級崩壊、青少年の凶悪犯罪の問題や、学びからの逃走、学習意欲の低下などが挙げられます。もちろんそれらは重大な問題ですが、私が最も深刻だと思うのは、むしろ教育に対する「信頼の欠如」です。これは、学校に原因があるというよりも、マスコミや教育評論家がそういう雰囲気をつくり上げてきたのだと思います。何か事件が起きる度に、日本のマスコミや教育評論家は、問題の背景・原因は学校にある、だから学校を変えなければならない、というように学校への不信を煽ってきたわけですね。つまり、世間が学校に対する「信頼の欠如」というものをつくり上げてしまったわけですが、そういう風にしか学校を見られないということ自体が一番大きな危機だと思います。
そしてもう一つは、「教育の武装解除」です。これは、私が国民会議の席上で話したものです。私は、「ゆとり教育」というのは基本的に「教育の武装解除」だと思っています。その背景には、ゆとり教育と子ども中心主義がありますが、それは子どもを過度に甘やかし、迎合し、楽をさせる、歪んだ子ども中心主義です。学校教育が何をどこまでやるべきなのかということについての根本的な認識を曖昧にしてきたことです。マスコミと政策がつくり上げたこれら2点の危機が、結果的に現実の教育を危機に瀕しさせ始めているのだと思います。
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