ベネッセ教育総合研究所 ベネッセホールディングス
日本の未来を切り拓く人材とは
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【1】 日本の産業界はなぜ
   国際競争力を失った?
急速な経済発展を遂げたにもかかわらず価値創造に至らなかった
 1980年代までの日本は、個人も社会も「もっと豊かに」という欲求に向かい、猛烈なスピードで欧米の国々を追い掛けました。そのとき役立ったのは、日本人の勤勉さ、器用さ、そしてチームワークです。カラーテレビにせよ自動車にせよ、業界を挙げて技術改良を重ね、アメリカやヨーロッパの製品に比べ、性能が良く高品質で、しかも安価な製品を実現したわけです。そして80年代には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とさえ言われるまでになったのです。
 NHKの人気番組「プロジェクトX」のように、全員一丸となって問題解決に取り組み、大きな成果を上げたわけです。しかし振り返ってみると、日本の産業は発展したものの、それまでなかった新しい製品や事業を生み出すという価値創造には、ほとんど至らなかったのです。
 やがて、社会全体が豊かになり、向かうべき目標がぼやけてくると、新しい成長につながるエネルギーも弱まりました。
これまで日本の産業・企業や個人が、欧米に比べ価値創造が得手でなかった原因の一つに、集団志向や思考・行動の同一性があると思います。欧米に追い付こうとするときはスピードも速くて効率的ですが、いざ追い付いた後「この先どんな道をとるべきか」というときには、考えあぐねてしまう。若い時に自分で考え、工夫するという独創の経験をしていないからです。また、企業や社会も異質なもの、新しいものを許容しにくい環境をつくっていたのです。
図1
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身の処し方は得意だが自らの意思で状況を変えていく力が弱い
 この日本の弱点が露わになったのは、90年代初頭にバブル経済が崩壊してからです。韓国や中国などのアジア諸国は、急速な経済発展を遂げており、安くて質の高い製品を製造する能力を高めてきました。
 一方、日本は人件費の高さが世界有数になっており、価格競争ではアジア諸国に太刀打ちできません。そうなると、単なる製品の安さや質の高さではなく、高付加価値で勝負できるように体質を転換していくことが求められるわけですが、その課題を克服できないままに厳しい競争にさらされたのです。
 経済の低迷は、どの国でも経験するものです。アメリカも80年代、深刻な不況に見舞われた時期がありました。しかしアメリカの場合は、積極的に市場原理、競争原理を働かせて産業・経済の主役交替、つまり活性化を進めたのです。競争力を失った産業・企業が市場から退場し、新しい、競争力ある企業が水を得て伸びていったわけです。
 ところが、日本は規制緩和が遅れたために、新しい企業が伸びていく機会を潰されてしまうのです。様々な規制や官主導の政策は、高度経済成長期までは効果的でしたが、今では競争力を削ぐものでしかなくなっています。つまり、日本の産業界は、古い秩序から脱却しなくてはならないのですが、日本人は自らの意思で状況を変える能力が弱いのではないでしょうか。自分を周囲に合わせようとしたり、自らの身の処し方ばかりに、気を取られすぎる傾向があると思います。
 例えばバブル期の企業は、他社が土地を買いあさっているのを見て、うちも見逃す手はないと同じ行動に走った。ひどい時期には、アメリカの国土全体よりも日本の国土の地価の方が高くなったこともありました。冷静に考えれば、日本の土地にそれだけの価値はないことは簡単に分かるはずです。ところが物事の本質を捉えようとせず、表面的な事象に流されてしまったわけですね。
 
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