|
ベネッセ教育総研
主席研究員
鎌田恵太郎
Kamata Keitaro |
|
|
|
大学改革の行方 |
大学入試改革の現状と展望
|
1990年代から大学入試で求められる学力は徐々に多様化してきている。本稿では、特に社会の変化が高等教育と初等・中等教育にどのような影響を与え、更にそのことが両者の接続である入試問題にどのような形となって現れ始めているかを述べてみたい。 |
戦後の大学入試の変遷 |
90年代から測定する学力が多様化 |
|
1954年を最後に、当時の文部省は大学入試の一つとして行っていた「進学適性検査」を廃止し、入試は各大学が実施する教科別学力試験にほぼ統一された。この「進学適性検査」は元々GHQの主導で、才能ある若者を発見し育てることを目指して導入されたが、「持って生まれた能力を測る側面が大きく、努力が報われない」という多方面からの反対意見に押されて10年も経たずに姿を消した。
その後長い間、日本の入試はほとんどの大学で現在よりも知識や理解の側面を重視する教科・科目別試験のみで合否が決められてきた。その間、大学入試制度面の大きな変更としては、79年の共通一次試験導入がある。だが、この試験も、大学別に入試が行われていたものと比べると基本的な良問は多いが、教科・科目別に知識やその理解度を測定している設問が多かったという点で、要求学力の面ではあまり大きな変化ではなかった。
ところが、90年代になると大学入試にある大きな変化が起こる。「測定する学力の多様化」である。90年代後半、大学審議会(※1)は大学改革について、また教育課程審議会は初等中等教育の教育課程について審議を行っていた。 |
※1 大学審議会:87年から00年まで。現在は中央教育審議会大学分科会にその機能が移管されている。 |
その審議と並行して中等教育と高等教育の接続問題を扱う中で、大学入試についての様々な議論がなされ、受験生のより多様な力を測定する必要があるという見解が示された。本格的に測定する学力の多様化が進むのはこの前後からである。
受験生のより多様な学力を測定する入試は、ごく一部の私立大を除くと、それより以前の90年前後に筑波大や旭川医科大、高知医科大などが導入した、小論文・教科横断型総合問題・総合適性試験などが始まりである。
旭川医科大や高知医科大の入試問題とその結果は、大学審議会でも取り上げられた。特に、旭川医科大が行った前述の総合問題で合格した学生は、後期の教科別試験で合格した学生よりも、入学後の成績の伸びが有意に高いというデータが示され注目された。
日本に戦後「進学適性検査」を導入したアメリカが、医学適性検査を導入したのが70年代半ばであるから、それから約20年近く経って、ようやく一部の大学の一部の学部で「多様な学力」が測定され始めたことになる。 |
|
|