ベネッセ教育総合研究所
指導変革の軌跡 静岡県立・榛原(はいばら)高校「広報活動」
静岡県立 榛原高校
静岡県立 榛原高校
2004年に創立105年目を迎える伝統校。地域社会や保護者から信頼される学校づくりを目指す。03年には学力向上フロンティアハイスクールに指定。明確な目標設定と緻密な数値目標を掲げ、鈴木均校長の下、組織・教育の改善に取り組んでいる。
設立●1900年(明治33年)
形態●共学/普通科(全日制・定時制)、理数科
生徒数(一学年)●約300名
04年度入試実績●国公立大には東北大、筑波大、東京外大、静岡大、広島大、静岡県立大など86名。私立大には青山学院大、上智大、中央大、明治大、早稲田大、立命館大、関西大、関西学院大など延べ413名。
住所●榛原郡榛原町静波850
電話●0548(22)0380
URL●http://www.szo-haibara-h.ed.jp
鴻野元希

静岡県立榛原高校教頭
鴻野元希
Kono Motoki
教職歴31年目。同校に赴任して3年目。「先生方が自分の教員生活をこの職場に賭けたいと思えるような学校にしたい」

濟藤英仁

静岡県立榛原高校
濟藤英仁
Saito Hidehito
教職歴35年目。同校に赴任して7年目。生徒指導主事。英語担当。「意志あるところに、道があり」を座右の銘とする。

牧野栄一

静岡県立榛原高校
牧野栄一
Makino Eiichi
教職歴34年目。同校に赴任して6年目。進路指導主事。英語担当。「生徒には真面目にコツコツ積み重ねる大切さを話します」

栗田眞一

静岡県立榛原高校
栗田眞一
Kurita Shinichi
教職歴29年目。同校に赴任して15年目。教務主任。数学担当。「いいアイディアをどんどん導入して、学校を活性化したい」

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指導変革の軌跡49
その時教師はそして生徒はどう変わったか
静岡県立 榛原(はいばら)高校 ---------広報活動
学校改革と広報活動の一体化で地域の信頼を回復


2年連続の定員割れは地域からの信頼喪失が原因だった
 近年「地域の顔」と言われてきたような地方の伝統校においても、定員割れの危機に直面している高校は少なくない。少子化による受験者数の減少や、生徒や保護者の間で近隣都市部の進学校を志向する傾向が強まっていることなどが、主な原因として挙げられる。
 榛原高校は今年創立105年目を迎える伝統校だ。榛原高校がある榛原町は、御前崎岬と焼津市の中間地点に当たり、駿河湾に面した人口2万5000人程の静かな町。この榛原町や隣接する相良町、吉田町などの中学生にとって長年、榛原高校は「最も入学したい憧れの高校」であり続けていた。
 だが榛原高校は、2001年度入試で普通科が定員割れを起こす。更に理数科においては、01年度、02年度入試と2年連続で志願者が定員を下回るという事態に陥った。口が悪い一部の人からは、「榛高は、やがて廃校になるかも」という声が出たほどだったという。
 理数科の志願者数が低迷していた01年度、教務主任の栗田眞一先生は、生徒と一緒に中学校を訪ねて、理数科の魅力を中学生たちにアピールする活動を行った。
 「それぞれの中学校出身の理数科の生徒を連れて、地元の4校を訪問しました。理数科進学を考えている中学生を相手に、本校に進学すればこんなに充実した教育が受けられるよと訴えかけたんです。手応えは十分。一緒に訪問した生徒たちとも『これなら来年は、理数科を志望する受験生が増えるはず』と話していました。ところが蓋を開けてみたら定員割れ。愕然としましたね」
 原因ははっきりとしていた。前述した少子化傾向や生徒・保護者の都市部志向といった外的要因に加えて、榛原高校自体が地域からの信頼を失っていたからだ。鴻野元希教頭は、当時の様子を次のように語る。
 「茶髪、ピアス、ミニスカート、ズボンの腰履き、シャツ出し、靴の踵踏み・・・・・・。正直に言って、とても地域の伝統校とは言えないような格好をした生徒がたくさんいました。生活態度の乱れは学力の低下にもつながり、大学進学実績も低迷していました。これでは地域の人々や地元の中学校から『榛高に生徒を送っても、きちんと育ててくれない』という思いを持たれても仕方がなかったでしょうね」
 だが生徒指導主事の濟藤英仁先生によると、実は01年度、02年度の時期は志願者数はどん底だったが、学校自体は立ち直りの兆しを見せつつあったという。「私が赴任した98年当時は、もっと状態は悪かった」というのだ。
 榛原高校の生徒たちの生活態度に乱れが生じた原因を、濟藤先生は、「教員側の指導体制に問題があった」と振り返る。時代の流行に合わせて、生徒は少しずつ服装を変えていった。だが教員は、自由尊重、個性重視という考え方の下、なし崩し的に生徒の変化を認めていた。やがて学校は落ち着きをなくし、遅刻をする生徒や、授業に真剣に取り組めない生徒の増加を招いていく。濟藤先生が榛原高校に赴任した98年当時は、ちょうどそんな時期だったのだ。


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