土曜日の補習は教師個々人の自発性頼み。教科によって、進度も教え方もバラバラ。センター試験の演習も実施しない―。公立進学校として、半ば「前時代的」とも思えるこのような指導が、大阪府立高津高校では、たった3年前まで「当たり前の指導」として行われていた。高津高校の進路指導主事を務める寺尾光弘先生は、当時の状況を次のように回想する。
「当時の本校では『進路や学習方法を考えるのは生徒の役目。教師は手をかけるべきではない』という考え方が支配的だったのです。教育理念として一つの考え方だとは思うのですが、それでは生徒の進路保証はおぼつきません。進学実績は低迷し、いつしか地域の人々からも、『高津4年制』と、不名誉な評価を下されるようになっていました」
だが、高津高校の教師たちは、このような状態に問題を感じつつも、なかなか改革を実行できずにいた。伝統校にありがちな、前年度踏襲主義を重んじる学校文化の壁を越えることができなかったのである。
「何を決定するにも、教師全員の合意を建前とする文化の中では、改革案をいくら持ち寄っても、なかなか実行することができませんでした。議論は尽くせど結論は出ず、結局は元通りという悪循環が繰り返されていたのです」(寺尾先生)
校内で高まる危機感とは裏腹に、一向に進まない学校改革。こうした状況を最終的に打破したのは、2002年度に赴任した木村智彦校長の強力なリーダーシップであった。大阪府最初の民間人校長でもある木村校長は、赴任当初の問題意識を次のように語る。
「本校の先生方は、一人ひとりは大変高い能力をお持ちです。しかし、組織としての目標が不明確なこと、そして何より保守的な現場の空気が、その力の発揮を阻害していました。一刻も早く進学校としてのプレゼンスを取り戻さなくては、今後の教育環境の激変の中で生き残ることはできません。民間で培った組織運営のノウハウを生かし、『教える』という教育の原点に、先生方が集中できるような学校づくり、組織づくりを目指して改革に取り組みました」
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