「私が先生方に問いかけたかったのは、生徒や地域社会に向けた組織目標が、なぜ今まで存在しなかったのかということでした。数ある高校から本校を選び、入学してくる生徒たちは『現役で国公立大学に進学したい』という強い意欲を持っています。それならば、その意欲に応えられるビジョンを示すのは、進学校として当然の義務だと考えたのです。それだけに、教育目標を示すに当たっては、できる限り具体的な目標が必要だと考えました」
ところが、このような呼びかけはすぐには校内に浸透しなかった。中でも、「難関国立大の大阪大に現役・卒業生の合計で40人」といった形で大学名を挙げて目標を設定したことについては、前向きに受け止める教師がいる一方で、「過度の受験シフトに陥る」「教育目標として不適切」といった反発もあった。改革当初は校長室で直談判が行われることもたびたびだったという。
そこで木村校長は、「校長メッセージ」と題した文書を頻繁に配付するなど、粘り強く改革方針を伝えると共に、府教委に働きかけて、校内設備にある改良を施した。それは、全教師が集まることができるよう職員室を新設したのである。「大阪府の伝統的な進学校では画期的な出来事だった」と語るのは田原久徳先生である。
「それまで本校では、教師の居場所は各教科の準備室でした。教師が一堂に会することもなく、互いがバラバラですから、『教科が違えば何をしているのか分からない』という状態でした。今にして思えば、校内の意志統一という観念自体が希薄だったのです。職員室ができ、意志疎通が円滑にできるようになったことで、一つの目標に向かう集団としての意識が生まれてきたと思います。これは組織改革のみならず、教科間が連携した指導を模索する上でも大きな意味を持ったと思います」
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