以上のような取り組みが連鎖的に効果を発揮した00年度前後から、高山西高校は急速に「進学校」としての評判を高めていった。かつて「あの高校から大学に行くなんてとんでもない」と言われた高山西高校から、数十名単位で4年制大合格者が輩出し始めたのである。
その背景にはもちろん、授業の増単や特進クラスの設置といったハード面での整備もある。しかし、それ以上に大きなファクターとなったのは、高山西高校の改革が若手教師中心で迅速に進められてきたことだ。高山西高校では、30代ともなれば既に主任クラス。実務的な部分での主力は、事実上20代の教師なのだという。
「私の場合も、赴任した最初の年から、習熟度別の上位クラスの担任を任されました。いきなり責任あるポジションに就くことに最初は戸惑いましたが、次第に『それだけ期待されているなら、なんとか応えなくては』という意識が芽生えてきたんです。私と同年代の教師は皆、同じような洗礼を受けてきていますよ」(横田先生)
若手を積極的に起用することは、新しい取り組みを迅速に実施することにも大きな効果を上げている。
「本校には、『連絡会』や『委員会』に類する組織や会議がほとんどないんです。隣のクラスの先生が何か面白いことをやっていたら『じゃあウチのクラスでもやってみるよ』といった具合に、年度途中でもフレキシブルに対応する文化があるんです。日記や復習ノートを使った指導も、元々は個人レベルで始まったものが、『いつの間にか』学校ぐるみの取り組みとなったものなんですよ」(岩坂先生)
こうした高山西高校の文化は、まさに「指導困難校」から脱出した当時の、「若者会」の熱気が、形を変えて伝承されたものに他ならない。学校をよくしていこうとする熱意は、世代を越えて受け継がれているのだ。小林教頭は、今後のビジョンを次のように語ってくれた。
「今後の課題として私が考えているのは、今まで『若手の勢い』でできていた部分を、体系立てた指導プランにシステム化することです。教師のやる気をそがないような仕組みをいかにして作っていくのか。その課題を解決した先に、更なる飛躍が待っていると思います」
教師の熱意と力で、「指導困難校」から「進学校」へと脱皮を果たした高山西高校は、すでに新たなステージに向けて歩み始めている。
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