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大学入試が変われば、高校での改革が生きてくる! |
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―では、理系に強い学生を育てるためには、大学入試にも改革が必要なのでしょうか。
西澤 そう思います。センター試験を頂点とした現代の大学入試は、「問題」と「解答」を素早く結び付ける「速い頭」を育てるのには有効ですが、大学で学問をするための「強い頭」を育ててはくれません。今の大学生の多くは、これまで誰かがやってきた研究を検証するのが研究だと思っていますが、本来、人がやっていない学問を創造するのが研究です。そして、大学での研究には「強い頭」が必要不可欠なのです。「強い頭」とは、新しいものを創造する頭です。そして、創造は豊富な知識を礎として成立しますが、一つひとつの知識はネットワーク化されていなければなりません。大学はそれが分かっているのに、入試は一向に変わらない。大学は「速い頭」よりも「強い頭」を見極める入試を実施するべきだと思います。
一度に大勢の学生を選抜する一つの判断基準として、1次試験にセンター試験を使うのは否定しませんが、それだけでは「問題」と「解答」を素早く結び付ける「速さ」を競うのみの選抜となってしまいます。そうであるならば2次試験には、各大学は記述式の、ものを考えなければ答えられない問題を受験生に課すべきです。また、面接試験を実施する場合は、学生の資質を見極めるのが得意な先生、いわゆる「面接のプロ」的な先生の判断に任せるべきだと思います。アメリカのハーバード大学でも既にこの方法で学生を選抜していますが、日本では複数の先生の判断の平均点で決めることが主流で、それが公平だと思われています。けれども、これでは大学や研究室を活性化してくれるユニークな人材を見いだすことはできないでしょう。その延長線上で、大学の先生方は、「教育」に重点を置く先生と、「研究」に重点を置く先生とで、それぞれの得意分野において分業体制にしてはどうかというのが私の意見です。
戦後、日本の大学は「全国どこの大学に行っても同じレベルの教育を受けられるようになるのが望ましい」という考えの下、悪しき平等主義が蔓延していたように思います。しかし、独立した法人となった大学が、それぞれの「個性」を磨き、競う時代がやって来たのです。どのようなアドミッション・ポリシーに立って選抜を行うのか、今後、入試は大学にとって、益々重要になりますし、入試そのものを工夫する大学も増えてくると思います。 |
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教育を一つの大きな流れで考えると、言うまでもなく理数離れの問題は小学校や中学校、更には大学をも含めた共通の課題であると西澤先生は指摘する。身に付けた知識がネットワーク化されていく実体験こそが「面白さ」「感動」を味わう場として求められる。 |
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