――グローバリゼーションが進む中、日本国内に限らず、世界を視野に入れて活躍できる人材が求められています。特に旧制一中のような伝統校に対しては、そうした期待が大きいと思いますが、盛岡第一高校では、自校の役割をどのように捉えているのでしょうか。
本校のどの先生も「地域のセンタースクールである」という自覚と使命感を強く持って教育活動を行っています。将来有望な若者を預かっている以上、日本全国、世界をフィールドに活躍できる、スケールの大きな人材を育てたいという思いがありますね。実際、地域の方々や生徒の保護者と接していても「東北を代表する高校であり続けてほしい。他校の範となる学校であってほしい」という期待を常々感じています。
――生徒の方も、概ねそうした意識で入学してくるのですか?
入学時から感度のよいアンテナを持ち、高い志を持っている生徒がほとんどです。ただし、その志の中味がしっかりしているかと言えば、必ずしもそうではない部分もあります。「将来医者になりたいから、とりあえず東北大医学部」とか、「海外で活躍する人材になりたい」という夢があっても、その実現のために何をすべきかがまだ見えていない段階が大半です。また、「一高に受かった」という事実で満足してしまっている生徒もいますね。そういう生徒には、充実した高校生活を送る中で、確実に小さな殻を破ってもらわなければなりません。「これから伸びていくポテンシャルを秘めているものの、まだ芽が出ていない種子の状態」の生徒が多いと言えるでしょうか。
――すると、生徒たちの持っている種子をどう発芽させ、スケールの大きな人間へと開花させていくかが、学校の課題というわけですね。
その点こそ、本校に限らず、あらゆる高校の役割が問われてくる部分だと思います。芽が出ていない状態の生徒を見て「今の生徒はダメだ」で終わっていたら、何の成長も進化もありません。むしろ、教師に求められるのは、大輪の花が咲く可能性を前提とした上で、才能が芽を出し、開花するよう、あらゆる教育活動を通じて働きかけることです。本校では、通常の教育活動のみならず、講演会や学校行事、進路学習などを通じて、生徒の志が高く伸びるよう、教師が生徒に関わることを惜しみません。受験勉強より何より先に、「一高生」にふさわしい言動をとらせ、高い志を持たせることを重視しているんです。
――伝統校の指導というと、自主放任的な指導をイメージしていたので意外ですね。
確かに「過剰に手をかけては生徒の自主性を損なう」という声は、どこの学校でも根強いと思います。しかし、自主性や能動性、先見性といった「リーダー的」資質は、教師が生徒と関わって、手をかけて育てる中で、初めて伸びていくものではないでしょうか。生徒と教師が共に人間として、人格者として、染み入るように関わり合うという視点は、リーダー育成以前の教育の原点ですよね。つまり「ピグマリオン効果(※)」は普遍の真理だということです。
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