――伊勢崎先生は民間人ながら、独立運動に揺れる東ティモールで県知事として戦闘状態が続く地域の行政改革に取り組みました。また、アフガニスタンや西アフリカでは、ゲリラに武装解除を呼びかけるなど、世界の紛争地域で危険と隣り合わせの活動を展開されています。そもそも、どのようなきっかけで国際援助の分野に足を踏み入れたのでしょうか。
大学院生時代に、大学の事務室でインド政府の国費留学生募集の告知を見たのがきっかけでした。当時、私は大学院で都市計画を学んでいましたが、深く学ぶうちに、それが先進国など限られた環境でしか生かせないことがわかりました。もっと人間の生存に直接かかわる、活力ある世界に関与したい。そう思った私は、インドのスラム街でフィールドワークができるという理由から、ムンバイ(旧ボンベイ)大学でソーシャルワーク(注1)を学び始めたのです。
大学ではケースワーカーとしてのカウンセリング手法や、コミュニティ・オーガナイザー(注2)として組織をまとめる方法を学びました。しかし、フィールドワークを通してスラムの実情を知るうちに、ムンバイ大学での研究も、所詮は上流階級から見た視野の狭いものであることを実感しました。そこで、大学を中退して1人でスラム街に入り込み、住環境改善を目指す市民運動に参加したのです。
――インドではどのように市民運動にかかわったのですか。
住民組織を支援する現地のNGOに雇われて、強制撤去への抗議デモ、共同トイレや下水道整備など公共サービスを勝ち取るための団体交渉へと住民組織を動かしました。私が飛び込んだスラム街は、住民が60万人ともいわれる、当時のアジアでは最大規模のものでした。しかも、その中では民族や宗教が対立し、抗争を繰り広げるなど、さまざまな利害が錯綜していて、とても一つにまとまる状況ではありませんでした。
しかし、市当局から権利を勝ち取るには、大勢の住民の声を一つにまとめていかなくてはなりません。そこで私たちは、共通の「イシュー(課題)」を顕在化させ、その下で住民を一つにまとめていくことにしました。例えば「飲み水がない」「トイレがない」というのは利害の対立を越えた住民共通の悩みです。イシューという「共通の敵」をつくって、各地域のリーダーをまとめ、正当な手段でデモ行進を行ったり、行政当局の担当者と談判をしたりしました。
住民運動のメンバーになったコミュニティは、40万人にも上りました。大規模な住民組織を動かすダイナミズムは、説得術や交渉術を学ぶ上で貴重な体験になりました。
――組織を動かす術を実地で学んでいったのですね。
本格的にリーダーとしての資質を磨いたのは、インドから帰国したあと、国際NGOに入ってからです。アフリカに派遣され、半年間、アシスタントディレクターとしてOJTによる教育を受けました。そこでは、開発事業計画立案や資金・人事・顧客の管理、監査、広報活動など経営的な観点から組織運営を学びました。
そこで学んだスキルを生かし、西アフリカのシエラレオネでは現地の責任者として200名以上のスタッフを統括しながら、診療所や病院、道路や橋、学校などの建設に携わりました。その後、シエラレオネでは10年以上内戦が続き、我々が造った施設や設備の多くが破壊されましたが、内戦後、国連職員として再び現地に赴いた際、その一部が住民の手で守られ、わずかに残されていたのです。それを見たときは嬉しかったですね。
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