変わり始めた高校の英語教育

 
VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
  PAGE 4/6 前ページ  次ページ

a round-table talk on SELHi
指導法における課題

英語I・IIの授業で生徒に「英語が使える」達成感をいかに体感させるか

松本 授業に関して言えば、英語I・IIがほとんど変わっていないことも大きな課題だと思います。英語I・IIは高校英語の根幹となるべき授業ですが、セルハイ校においても昔のスタイルのままの授業が行われていることが多いようです。それくらい英語I・IIを変えるのは大変なことなのでしょう。
吉田 セルハイは英語科や国際科だけが対象の取り組みではないのですから、英語I・IIでどういう指導ができるのかはとても重要な問題ですね。ここでもっと成功事例が出てくれば、そのノウハウを普通科で生かせることになりますから。
松本 多くの場合、英語I・IIは授業の構成自体が先生主体で、先生が一方的に生徒に教えるスタイルの域を出ていません。先生と生徒の役割が以前のままで、先生がいないと授業が全く動かない。
金谷 英語I・IIは、どう変えればよいかが最も難しい授業ですよね。変えたくても変え方が分からない。
松本 私は、あえて厳しい言い方をさせていただくとすれば、先生方が生徒の力を過小評価していることもあるのではないかと思うのです。生徒の知的レベルを信用していないから、英語I・IIのような授業で教え込むスタイルを残しておかないと不安なのではないかと思います。
吉田 そもそもセルハイにおける「良い授業」とはどんな授業なのか。私は、生徒が英語を使って積極的に何かをしようとしている授業だと思っています。そして、生徒と先生のコミュニケーションによって成立している授業ではないでしょうか。英語I・IIもそういった授業であってほしいものですよね。
金森 学んだ言葉を用いて何かができるという達成感があって、初めて語学学習の動機付けは成立します。この「使える」という達成感は、日本の英語教育ではこれまで保障してこなかった部分です。授業の中で成功体験を生徒に味あわせたいですよね。
松本 「英語が分かる」とは、読んで訳せることだと考えている先生はまだまだ多いと思います。そうではなく、4技能を統合的に使うこと、つまり、読んだことを踏まえて、話したり、書いたりできることが「読んで分かる」ことです。英語I・IIが、教師が日本語で隅々まで説明する授業だとしたら、生徒はそこから何も学んでいないと言わざるをえません。
吉田 そうですね。それだと英語I・IIは、日本語のディクテーションの授業に過ぎませんよね。
金谷 海外からの留学生は日本の英語の授業に出席したがるんです。なぜかというと、日本語の使い方が分かるから、と。
金森 先生が英語の授業にどんな気持ちで臨んでいるかが問われていると思います。教室に面白いトピックスを持って来て、自分の体験を生徒に上手に話すことができて、生徒に「自分も話したい」と思わせることができる先生ならうまくいくはずです。もちろん、いろいろなキャラクターの先生がいるわけですから、いろんなタイプの指導法を学び、これなら自分に合っているというものを選んでほしいですね。
吉田 それから、教科書自体にも問題はありますよ。英語I・IIの教科書は昔からほとんど変わっていません。
松本 20年前と同じですね。
吉田 日本の先生は教科書の内容に沿って教えますが、例えば韓国の先生は、教科書に入る前に内容に関することをしっかりと教えるんです。テーマに関する知識を与え、自分の意見を持ちやすい状態にしてから授業に入るんです。そのため、授業が読解中心にならないで済みます。
金谷 和訳先渡しもその考え方に基づいたものです。ただし、このスタイルの授業は教え方のアイディアがないと大変です。教科書に入ってから「やることがなくなった」ということになりかねません。
金森 先生がいろんなことを知っておかないと。セルハイによって他校の英語教育の取り組みが分かるようになってきたわけですから、先生も勉強しやすい状況になってきています。この環境を生かしてほしいですよね。

写真

  PAGE 4/6 前ページ 次ページ