10代のための「学び」考

白川英樹

白川英樹

しらかわ・ひでき
1936年東京都生まれ。東京工業大大学院理工学研究科博士課程修了。工学博士。アメリカ・ペンシルベニア大学博士研究員、筑波大教授等を歴任。2000年に「導電性ポリマーの発見と開発」で、アラン・マクダイアミッド教授、アラン・ヒーガー教授と共にノーベル化学賞を受賞する。現在は、筑波大名誉教授、日本学士院会員。高校での講演会を通じて、科学の魅力を次世代に精力的に伝えている。著書に『私の歩んだ道』(朝日新聞社)など。

*本文中のプロフィールはすべて取材時(07年3月)のものです

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10代のための「学び」考

白川英樹

2000年ノーベル化学賞受賞 筑波大名誉教授 日本学士院会員
目的意識が新たな問いを生み出し、物事を追究する原動力となる

 今でこそ携帯電話の電池や券売機のタッチパネルなどに当たり前のように使われている電気を通すプラスチックだが、実は30年前には難しさのために多くの研究者は研究を投げ出していた。再び研究が盛んになるきっかけをつくったのは白川英樹筑波大名誉教授だ。ノーベル化学賞を受賞するほどの白川教授だが、小・中・高校を通して秀才と呼ばれることはなかったと言う。では、なぜ常識を覆す発見ができたのだろうか。

実験に夢中だった青少年時代

 私は、小学3年生から高校卒業まで、岐阜県の高山市で育ちました。自然に囲まれた地域でしたから、昆虫を捕ったり、夏には毎日、川で泳いだりしていました。自然科学への興味は、このころから培われていたのだと思います。
 中学校ではよく実験をしました。といっても、理科の授業ではなく、放課後、理科好きの友達と実験室に集まり、さまざまな薬品で化学反応を試していたのです。理科の先生がついてくれるときもありましたが、基本的には自由でした。実験の面白い点は講義のように座って黙って聞くのではなく、自分の思い通りにできることです。結果を予想しながら計画を立てる、という自分なりの工夫ができます。結果が予想と違っても、そこから理由を考えるのが楽しかったのです。
 実は、中学校の卒業文集では、こんなことを書きました。「高校を卒業したら、できることなら大学に入って、化学や物理の研究をしたい。現在できているプラスチックの欠点を取り除いたり、いろいろ新しいプラスチックを作り出したりしたい…(後略)」。当時は弁当をビニール風呂敷で包んでいましたが、弁当の熱で伸びてしまい、冷えると元に戻らないという欠点がありました。それを改良できないかと思ったのです。大学進学時には、化学、生物学、電子工学のいずれかを研究したいと大学を選びましたが、作文に書いたように、新しい物質を作りたいという夢を抱いたことが、私の研究人生の原点だと思います。


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