このような生徒の自主的な活動が活発になっていった背景には、学校が荒れた時期でも生徒会の求心力が失われていなかったことが大きいようだ。中でも、日刊の生徒会新聞「輝け八中 みんなの学校」(写真2)は、生徒同士のつながりを陰で支える重要な役割を担ってきた。新聞の創刊は85年。校内が最も荒れていた時期だった。当時、同校に教師として赴任していた奥井和義校長は、創刊の経緯をこう振り返る。
「荒れた校内を変えようと、ある教師が創刊を提案しました。それが生徒会執行部に引き継がれて、現在に至っています。当時は、新聞に関心の低い生徒が多く、廊下などに捨てられていたこともありました。それでも、創刊以来、登校日には休むことなく発行し、07年2月6日にはついに5000号を迎えました。今では『八幡中の文化』と呼べるものになっています」
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