10代のための「学び」考

広中平祐

広中平祐

ひろなか・へいすけ
1931年山口県生まれ。京都大理学部卒業後、ハーバード大学で博士号を取得。ブランダイス大学准教授、コロンビア大学教授、ハーバード大学教授、京都大教授、山口大学長等を歴任。70年、「特異点の解消」により日本人2人目のフィールズ賞を受賞。84年に財団法人数理科学振興会を設立し、高校生向けのセミナー「数理の翼」を企画するなど、教育にも尽力。現在、ハーバード大学、京都大、山口大の各名誉教授、数理科学振興会理事長。日本学士院賞、文化勲章、レジオンドヌール勲章など国内外の受賞・叙勲多数。著書に『生きること学ぶこと』(集英社)などがある。

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10代のための「学び」考

広中平祐

京都大名誉教授 日本学士院会員
大切なのは努力する過程を通じて自分自身を見つめ直すこと

 数学の最も権威ある賞といわれるフィールズ賞。今から37年前、日本人で2人目の受賞者となったのが、広中平祐京都大名誉教授だ。あまりの難解さから世界中の数学者がさじを投げていた「特異点解消」の問題に挑み、10年の歳月をかけてその定理を証明した。数学史に名を残す快挙を成し遂げた広中教授だが、そこに至るまでの道のりには、愚直なまでの地道な努力と、研究に対する真摯な思いがあった。

何よりの楽しみは「考えること」

 子どものころから、ものを考えることが好きだった私にとって、算数・数学はゲーム感覚で楽しむ娯楽の一つでした。小・中学校時代は戦争の真っただ中。大した娯楽もないこの時代にあって、頭を使って考えることが何よりの楽しみだったのです。しかも、数学は、いろいろな解釈が成り立つ国語や歴史などと違い、答えさえ証明できればだれにも文句は言えません。そんな明解さも、私の性に合っていました。
 戦中戦後の教育環境はひどいものでした。教科書もろくにないため、先生は仕方なく何度も同じような問題を出していました。しかし、今思えば、この基本的な内容を繰り返し学んだおかげで、基礎をしっかり固めることができたと思います。
 高校時代には、尊敬できる先生との出会いがありました。当時、私は教科書の練習問題をひねって新しく問題をつくり、先生に解いてもらうのを楽しみにしていました。中には「そんな問題を解く必要はない」と、はぐらかす先生もいましたが、「タンジェント」というあだ名の先生は違いました。その場でわからなくても、数日後には「広中、できたぞ!」と言って必ず解答を示してくれる。先生を試してやろうといういたずら心でしたが、そんな私の挑戦を先生は真正面から受け止めてくれたのです。先生の熱意を感じた私は、ますます数学が好きになりました。


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