指導変革の軌跡 兵庫県立神崎高校
兵庫県立神崎高校

兵庫県立神崎高校

「自主・創造・勤勉」が校訓。2004年度から「ディスカバリーハイスクール」を標榜して改革に着手。30分授業、幼稚園訪問、地域交流等で教育困難校からの再生を果たす。部活動の改革にも力を入れ、06年度には自転車競技部がインターハイに出場した。

設立●1948(昭和23)年

形態●全日制/普通科/共学

生徒数(1学年)●約80名

07年度進路実績●進学は4年制大6名、短大2名、専門学校11名で計19名。就職は23名。その他6名。

住所●兵庫県神崎郡神河町福本488-1

TEL●0790-32-0209

WEB PAGE●http://www.hyogo-c.ed
.jp/‾kanzaki-hs/


原潤之輔

▲兵庫県立神崎高校教頭

原潤之輔

Hara Junnosuke

教職歴30年目。同校に赴任して4年目。「自学自習できる生徒を1人でも多く育てたい」

内海芳樹

▲兵庫県立神崎高校

内海芳樹

Utsumi Yoshiki

教職歴29年目。同校に赴任して4年目。主幹教諭・生徒指導部長。「年齢にふさわしい社会性を身につけさせたい」

寶谷亮介

▲兵庫県立神崎高校

寶谷亮介

Hotani Ryosuke

教職歴26年目。同校に赴任して3年目。3学年主任。「生きる力を養い、社会で活躍できる人材を育てたい」

高橋敬介

▲兵庫県立神崎高校

高橋敬介

Takahashi Keisuke

教職歴25年目。同校に赴任して3年目。教務部長。「共感する感性を持ち、能力を社会で生かせる人材を育てたい」

齋藤勝

▲兵庫県立神崎高校

齋藤勝

Saito Masaru

教職歴20年目。同校に赴任して7年目。「一人ひとりを大切にし、可能性を最大限に伸ばしてあげたい」(兵庫教育大大学院派遣中)

VIEW21[高校版] 新しい学校再生のパートナー
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指導変革の軌跡95


兵庫県立神崎高校「学校再生」

改革のプロセスを地域にアピールし、学校を再生

● 実践のポイント
組織的な指導体制、ゼロ・トレランス*1の方針により、生徒指導をてこ入れ
30分授業や幼稚園訪問などで、生徒に自信と責任感を持たせる
学校改革の様子をタイムリーに地域の中学校や保護者に積極的に伝える
*1 罰則を定め、違反したら厳密に処分するという、寛容(トレランス)を認めない(ゼロ)とする教育方針。1990年代にアメリカで始まった。

荒れた生徒の振る舞いに地域からの抗議が殺到

 「校舎の前に立つときは、上から物が落ちてこないか注意してください」
 数年前まで、神崎高校では新しく教師が赴任すると、先輩の教師がこのようなアドバイスをしていた。掃除用具を収納するロッカーが5階から落とされるという事件が起きて以来、校舎の前を通るときは必ず上を見るのが、同校の教師の習慣になっていたからだ。
 「地元に普通科高校を」という地域の要望を受け、同校が定時制被服科から全日制普通科へ生まれ変わったのは1977年のことだった。山と川に囲まれた自然豊かな農村地域で、生徒は学業に励み、ボランティア活動やバザーなどを通して地域とのつながりを大切にしてきた。
 そんな同校に変化が見られ始めたのは98年ごろだった。交通事情が良くなり、都市部から生徒が入学するようになったのだ。茶髪、私服登校、カバン不所持の生徒が増え、教師に対する反抗的な態度も徐々に常態化していった。01年に赴任した齋藤勝先生は、「当時は生徒に背を向けて板書をするのが怖かった」と振り返る。
 「板書をしている間に、ほかの生徒を殴る生徒がいました。生徒を詰問しても、教師が見ていないのをよいことに『証拠があるのか』と食ってかかってくる始末。何が起こるかわからないという不安で、生徒に背中を向けることができませんでした」
 変わっていく同校の様子は、地域にも急速に伝わっていった。金髪の生徒がタバコを吸いながら通学路を歩く。近隣の水田の水を抜くといういたずらをする生徒もいた。学校には、地域住民から生徒の指導を求める声が殺到した。電車通学の生徒は全員、最寄り駅からスクールバスを利用するという取り決めまでできたほどだった。
 荒れが激しくなるにつれ、同校の志願者は減少の一途をたどっていった。03年度には入学定員80名に対して志願者は45名。特に地元の中学校からの志願者数が激減し、全体の4割にまで落ち込んだ。「神崎高校は廃校になる」そんな噂がまことしやかに流れていた。

徹底的に厳しくする一方立ち直りの機会も与える

 そんな同校が立て直しに向けて走り出したのは03年4月。生徒指導にノウハウを持つ増尾禮二校長が赴任し、改革路線へと大きく舵を切った。
 まず着手したのは生徒指導の徹底だ。「責任はすべて自分が負う」と増尾校長は宣言し、生徒指導部を中心に教師全員で指導にあたる体制を整えた。生徒には「ゼロ・トレランス(不寛容)」を貫く態度を明確にした。
 「それまで本校の指導は組織的ではなく、教師一人ひとりの力量に頼っていたため、指導しきれない場合が少なくありませんでした。今では学校全体で支えてくれるという安心感から、自信を持って生徒と向き合えるようになりました」(齋藤先生)
 指導後のフォローにも心を砕いた。特別指導を受けた生徒とは、何度も話し合った。停学・退学の基準に抵触した生徒でもすぐには処分せず、反省の機会を与えてできるだけ卒業できるようにあと押しした。生徒指導部長の内海芳樹先生は、次のように話す。
 「退学や停学寸前にまで追い込まれた生徒は、自暴自棄になってますます問題を起こしてしまいます。中には、家庭環境に恵まれない生徒、経済的に困難な生徒もいます。学校を辞めさせられてしまったら、立ち直る機会も失われてしまいます。毎日の指導では不寛容を貫いても、最後にはチャンスを与えて反省を促していくことが、生徒の信頼を得る上でも大切なのです」

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