私は6歳の時に母を亡くし、父が男手一つで育ててくれました。父は4人兄弟の末っ子だった私を心配し、しつけの厳しいことで有名なカトリック系の中学校に入学させました。そこで精神的な教育を受けた私は、哲学を志すようになり、東京大の文学部哲学科を受験したのです。しかし、入試前の12月に父親が亡くなり、結果は不合格。私は諦めきれずに浪人し、部屋に閉じ込もり雨戸さえ開けずに勉強に没頭しました。苦手な問題をひたすら繰り返し解くうちに力がついていくのがわかり、大きな励みになりました。私は「一生懸命やれば必ず力がつく」ことを身をもって学びました。
ところが、2度目の受験前に、私の面倒を見てくれていた一番上の兄から、戦後の窮乏な時代でもあり「哲学なんて勉強しても、食べていけない。理工系に行ってほしい」と言われ、進路変更を余儀なくされました。私が選んだのは農学部でした。田んぼに入って田植えをするなど、私にとって農学には文学的なイメージがあり、理工系学部の中でも最も哲学的な要素を持っていそうだと考えたからです。この選択は妥協ではなかったと思います。この道以外はないと考え、その中で自らの活路を見いだしていったのです。
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