10代のための「学び」考

山田康之

山田康之

やまだ・やすゆき
1931年大阪府生まれ。京都大大学院農学研究科修了。農学博士。京都大農学部教授、奈良先端科学技術大学院大学バイオサイエンス研究科教授、同大学長などを歴任。専門分野は、植物細胞の機能発現、アルカロイド生合成の物質変換反応機構、形質転換植物の形質発現。91年日本学士院賞、04年瑞宝重光章など受賞多数。

*プロフィールは取材時(08年3月)のものです

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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10代のための「学び」考

山田康之

京都大名誉教授 奈良先端科学技術大学院大学名誉教授 日本学士院会員
自己を確立し、目標を持つことが
人生を切り開く鍵になる

 特定の作用を持つ植物細胞を選別し、培養することにより、医薬品などに使われる有用な物質を、効率よく生産する技術を確立した山田康之京都大名誉教授。当時の常識を覆す研究成果を残してきた植物分子細胞生物学研究のパイオニアだ。青年時代には哲学を志していた山田教授が、植物バイオテクノロジーの研究に情熱を傾けていった、その原動力とは何だったのか。

逆境の中から自分の活路を見いだした

 私は6歳の時に母を亡くし、父が男手一つで育ててくれました。父は4人兄弟の末っ子だった私を心配し、しつけの厳しいことで有名なカトリック系の中学校に入学させました。そこで精神的な教育を受けた私は、哲学を志すようになり、東京大の文学部哲学科を受験したのです。しかし、入試前の12月に父親が亡くなり、結果は不合格。私は諦めきれずに浪人し、部屋に閉じ込もり雨戸さえ開けずに勉強に没頭しました。苦手な問題をひたすら繰り返し解くうちに力がついていくのがわかり、大きな励みになりました。私は「一生懸命やれば必ず力がつく」ことを身をもって学びました。
 ところが、2度目の受験前に、私の面倒を見てくれていた一番上の兄から、戦後の窮乏な時代でもあり「哲学なんて勉強しても、食べていけない。理工系に行ってほしい」と言われ、進路変更を余儀なくされました。私が選んだのは農学部でした。田んぼに入って田植えをするなど、私にとって農学には文学的なイメージがあり、理工系学部の中でも最も哲学的な要素を持っていそうだと考えたからです。この選択は妥協ではなかったと思います。この道以外はないと考え、その中で自らの活路を見いだしていったのです。


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