私の研究人生で大きな転機となったのは、アメリカのミシガン州立大学に3年間留学したことです。京都大大学院で葉面吸収の研究をしていた私は、更なる研究のために植物の細胞培養を学ぶ必要があると考え、活発な研究環境を求めて留学を決意しました。
当時のアメリカは科学技術の全盛期。植物細胞培養の分野でもニンジンの個体を培養細胞から再生するという新発見などがあり、私も新しい研究への意欲が高まっていました。教授は外国人の若い研究生に対しても「Publish or Perish(論文を発表せよ、さもなくば滅びよ)」と叱咤激励してくれ、私も研究に打ち込み、毎年有名な国際学会誌に数報の論文を発表しました。この3年間は私にとって、チャレンジ精神を身につけ、独創性の大切さを学んだ貴重な時間になりました。
その精神は、私の研究に大きな影響を与えました。私は、世界でも不可能だとされていたイネやムギなどの単子葉植物の組織培養に挑戦することにしたのです。留学中にホルモンが細胞分裂に影響をもたらすという研究をしていた私は、単子葉植物もホルモンを用いれば組織培養ができるはずと考えていました。ほかのだれもしないような通常の1000倍という高い濃度のオーキシンというホルモンで試してみることにしました。そして、世界で初めてイネの組織培養に成功し、ついにイネの培養細胞から個体を再生したのです。
この世界初の発見に至るまで、順風満帆に研究が進んだわけではありません。細胞培養に必要な実験室も、装置もないというゼロからのスタートでした。まず私は大学の地下の物置小屋にペンキを塗り、床にはタイルを貼って実験室を作りました。無菌状態で作業を行う装置のために、木とガラスで無菌箱を作って実験を行いました。しかし、そんな環境では実験室で人が動くたびに装置内の空気が動き、どうしても雑菌が入ってしまいます。できるだけ雑菌混入を避けるため、人の出入りのない朝5時に実験を行いました。
研究環境には恵まれていませんでしたが、なぜか不安はありませんでした。留学時代に得た研究成果から必ずできると考えていましたし、だれもしない研究をしているという自負が私を突き動かしていました。こうした目標達成への強い意思が、イネの組織培養の成功という大きな成果に結び付いたのです。
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