私を育てたあの時代、あの出会い

あつみ・けん

あつみ・けん

浜松南高校に12年間勤務したあと、磐田南高校へ。03年度より同校進路指導主事。同じく03年度より「静岡県内進学指導連絡会」の事務局を務め、現在6年目。

てらだ・たつゆき

てらだ・たつゆき

 1986~94年度の9年間、浜松南高校に勤務。93、94年度進路指導主事を務める。浜松西高校を経て袋井高校へ。「遠州バサラの会」など、国語教育において幅広く活動している。

※プロフィールは取材時(08年6月)のものです

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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私を育てたあの時代、あの出会い

「読む」ことの意味に気づき、本当の授業を知った

静岡県立磐田南高校教諭◎渥美 健

変化を求め、成長をしようとする思いは、だれの中にもある。
しかし、繰り返される日常に埋もれるように生きているうちに、
新しい自分への渇望を忘れてしまうことがある。
慣れや甘えに埋没しそうな自分を引き上げてくれたのは、
「本当の授業」を知る先輩教師だった――。
静岡県立磐田南高校の国語科・渥美健先生が体験した、教師としての30代の目覚めをうかがった。

 30代になったばかりの年に、私は浜松南高校に赴任しました。今から20年前です。当時の浜松南高校は、生徒への補習の連絡を「僕の補習においでよぉ~」と歌詞にして掲示板に貼り出すようなノリのよい先生がたくさんいました。私が配属された第2学年団も学年主任を中心にとてもまとまっていて、学年主任と一体となって学年、そして学校を引っ張っていたのが寺田先生でした。寺田先生は私よりたった2年早く来ただけなのに、勤続10年以上と思えるほど、学校に馴染んでいました。年齢は私より9つも上なのですが、とても親しくしてもらって、私は生意気にも最初から「寺田さん」と呼んでいました。
 当時、私は教壇に立って9年目。授業は普通にやっていればそれなりに格好がつく。とはいえ若造の身。学校全体を見渡すような立場でもない……そんな気持ちで、1人のクラス担任、授業担当者として日々を過ごしていました。ところが、寺田先生に出会って、それが甘い考えだと気がつきました。年齢やキャリアを問わず、教師は目の前のことだけではなく学校全体のこと、そして生徒の丸ごと全部を考えないとだめなのだということを教わったのです。
 何より国語に対する考えが変わりました。寺田先生は「文章をしっかり読もう」と言いました。我々が身に付けさせたい国語の力は、授業の内容を覚えて、定期テストで点数を取る力ではない。初めて見た文章を自分の力で読み取る力だ、と。確かにそれまでの私は、定期テストはできても模試になると点数が取れない生徒をどう指導すればよいか、答えを見つけることができていませんでした。生徒の中には「国語は勉強をしても学力は伸びない」と諦めている者もいました。今思えば当然です。それまでの私の授業は、教科書や指導書に頼ったもので、生徒に考えさせるものではなかったのですから。寺田先生と出会ってから、文章を通して人間を読み、考えるという、いわば生きるために必要な力を養う時間が、国語の授業だと考えるようになったのです。

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