私を育てたあの時代、あの出会い

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
  PAGE 2/3 前ページ  次ページ
 授業では、教科書や文法書を使わず、代わりに寺田先生のもとで作ったプリントを配りました。教科書の内容を読みやすいようにすべてワープロで打ち直し、先入観なしでしっかりと読ませるため余計な注釈などを除いたものです。文法は、言葉がどういう原理で使われるか、事例を通して説明するオリジナル教材を開発し、授業で使いました。私が作ったプリントを寺田先生に見せたところ「こんなに文字がぎゅうぎゅう詰めのプリントなんか、生徒は読みたくないだろ?」と、やり直しをさせられたこともありました。学ぶ人の立場に立って、読みたくなるようなプリントを作ることの大切さを教わったのです。事実、私たちの教え子だった若い国語の先生は、今でも当時のプリントを大切に保管しています。
 定期テストでも応用問題を出題しました。例えば、『徒然草』なら授業とは別の章段を出題するわけです。授業でもテストでも、とにかく生徒に考えさせたのです。1年生の時から一緒に鍛えた学年は、記述模試で県で2番の成績になりました。生徒も手応えを感じていたでしょう。
 文章に向き合う機会を与えれば、こんなに読めるのか……本当に驚きでした。でも、生徒の秘めた力を知った今は、驚きではありません。実際、今は漢文も白文で読ませます。事前に漢文の構造や用語法を徹底し、後はその授業の中で10分ほど読みの構想を立てさせれば、3年生なら白文で読めるのです。ときには教えている私が「こんなに読めるのか!」と驚くほどです。もちろん、生徒も私も読めないときがたまにあります。そのときは「では教科書を見てみよう」となるわけです。
 一緒に働いた7年間、寺田先生には多くのことを教わりました。私は、先生の考えや技術を若い世代に伝えたいと思うようになり、2004年に国語研究会「遠州バサラの会」を結成したのです。県内外から若い先生が約30人参加し、模擬授業などを通して寺田先生から学んでいます。指導書を鵜呑みにせずに自分の力で読もう、と寺田先生はあのころと同じように若い先生に語りかけています。
 寺田先生は、「これでよいはずだ」と、みんなが思い込んでいることを問い直し、根底から覆すことができる力を持った人です。そんな先生との出会いのおかげで私は、50歳を迎えた今も、「自分の授業、自分の読みは、本当にこれでよいのだろうか?」と日々考え、自分なりに工夫を続けながら授業をしています。
写真

  PAGE 2/3 前ページ  次ページ