教える現場 育てる言葉

盲人更生援護施設 (財)アイメイト協会

盲人更生援護施設
(財)アイメイト協会

1948年、塩屋賢一会長が盲導犬育成を志し、試行錯誤で始め、57年には国産初の盲導犬「チャンピィ」を誕生させた。71年には東京盲導犬協会を設立し、89年、アイメイト協会と名称を改定。これまでのほぼ50年間に、1000頭以上の盲導犬アイメイトを育成。アイメイトを「目」として自立した視覚障害者は1000人を超える。現在、年間40~45頭のアイメイトを育てる。

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教える現場/育てる言葉・Number3


盲人更生援護施設 (財)アイメイト協会

現場で学ぶ瞬間の判断力と創意工夫

視覚障害者の歩行指導を通して社会参加する

高校を出て間もない若者が、真剣な表情で犬の訓練に取り組む。
犬舎の清掃、排便の世話もする。盲導犬を「目」として、視覚障害者の社会参加を支援するアイメイト協会では日常の風景だ。
「犬が好き」なだけではできない仕事だが、盲導犬による視覚障害者の歩行指導員を目指す者にとって、ここは仕事を通して自らが社会参加する場でもある。

見習期間中に「観察する目」を養う

 夕方5時近く、1日の歩行指導が終わる。盲導犬を使った視覚障害者の歩行指導では、ときに1日10㎞も歩くことがある。休む間もなく今度は盲導犬の食事の時間だ。「アイメイト協会」の建物の2階、視覚障害者が歩行指導を受ける4週間の間、指導員と共に寝泊りする宿舎。指導員は視覚障害者に犬への食事の与え方も指導する。
 これからの長い時間、文字通り寝食を共にする視覚障害者と盲導犬の間に、「目の仲間」としての信頼が育まれる時でもある。歩行指導員の仕事に就いて35年、中野薫さんが、犬の扱いに不慣れな視覚障害者に助言する声が静かに流れる。人と犬の信頼関係がスムーズにいくように図ることは、指導員にとって重要な仕事だ。その様子を、見習生の1人がじっと見守る。
 現在、「アイメイト協会」の職員は、歩行指導員6人、研修生6人、他に事務局が4人の計16人である。一人前の歩行指導員になるためには、3年の見習期間と2年間の研修を経験するこの間、見習生にとっては「観察する目」を養うことが大切になる。
 盲導犬による歩行指導の現場では、予期しないことが起きる。そのどれもマニュアルで対応できる問題ではない。中野さんが、こう説明する。
 「大事なのは瞬時の判断と創意工夫です。盲導犬が視覚障害者を正確に誘導しないときにどうしたらいいか?
 それは状況によって皆違います。その場で自分で考え、適切な解決法を見つけて、指導しないといけない。歩行指導員に求められるのは、その時々の判断力です」
そのときのためにも普段から視覚障害者と盲導犬の動き、先輩指導員の反応を観察することが重要になる。「どんな小さな動きも見逃さないことが大切です」と中野さんはいう。

 路上で歩行指導を受ける4週間、視覚障害者はざっと130㎞ほどの距離を歩く。その間、さまざまな状況に応じて盲導犬との呼吸を合わせていくが、それには見習生も付き従うことが多い。視覚障害者にとっても、見習生にとってもかなりのハードワークだ。
 ある見習生が、協会の機関誌にこう書いている。「自身の未熟さを思い知らされ、いい経験をしている。鍛練を積み、訓練・指導を学ぶことで、様々な出会いを経験し、自分を成長させていきたい」
 本当に視覚障害者の自立を支援しようと思ったら、視覚障害者と1対1の人間として向き合う場面も出てくる。しかも多くの場合、視覚障害者は歩行指導員よりも年齢が高く、人生経験を積んでいる。日常生活を含めて、そういう人を指導するということは、指導する側の人間性が問われることを意味する。「そのためにも自らを磨かないといけない」と、若い見習生はいう。
盲導犬
◎盲導犬の歴史は古く、西暦79年、火山の噴火で埋もれたポンペイの発掘品に、犬に引かれて歩く盲目の音楽師の姿などが描かれた遺物が見つかっている。日本では、1939年、4人の実業家が、ドイツから盲導犬を1頭ずつ輸入、陸軍に献納したのが最初とされる。本格的に盲導犬の育成が始まるのは、戦後になってからである。国内の視覚障害者の数は厚生労働省統計で約38万2700人とされる(2004年)。

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