私を育てたあの時代、あの出会い

たがわ・ゆうじ

たがわ・ゆうじ

長崎県立五島高校校長。奈留高校から長崎南高校へ。そのあと、県総務部を経て、佐世保南高校の教頭。2006年度より現職。

ひらた・とくお

ひらた・とくお

諫早市立諫早図書館館長。
長崎南高校、教育委員会勤務等を経て長崎南高校教頭、上五島高校、長崎東高校校長などを務め、2001年から現職。
※プロフィールは取材時(08年8月)のものです

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私を育てたあの時代、あの出会い

「思いきりやりなさい」その言葉が教師としての生きざまを決めた

長崎県立五島高校校長 田川祐治

生徒を育て、伸ばしたい。
その思いは、すべての教師に共通する。
しかし、いかに伸ばし、育てるか、その方法論はまさに多様である。
20代の終わりに、自らの指導の在り方と教師観を決定づける出会いを得た
長崎県立五島高校校長・田川祐治先生に、
生徒を育て、そして同時に教師をも育てた
先輩教師との2年間を振り返っていただいた。

 初めて教壇に立ったのは1978年、五島列島にある高校でした。生徒数は約230人。生徒との距離が近い環境で、私は、教師は自らの熱意で生徒の可能性を広げることができる仕事だと学びました。5年間の島での勤務を経て、28歳で県内有数の進学校である長崎南高校に異動になったのですが、進学校で自分の授業が通用するのか、不安でいっぱいでした。また、教師が連携し、集団の力を生かして生徒を育てるという、大規模校ならではの指導にすぐに馴染めるのかも心配でした。
 そんな私に、長崎南高校の先生たちはさまざまな仕事を任せてくれました。管理職やベテランが背負い込むのではなく、若い教師にも責任を持たせ、育てる文化がありました。そして、数学科の先輩から言われたのは「多くの入試問題を解きなさい」ということでした。今までと異なる環境は新鮮で、毎日が勉強でした。
 赴任2年目、1年生の担任となった年、長崎南高校から教育委員会に籍を移していた平田徳男先生が、教頭として再び長崎南高校に戻ってこられました。平田先生は就任早々、私に言いました。「遠慮してはだめだ。やりたいようにやりなさい。やりすぎたときは、私が注意するから」。とても嬉しかったです。自分の後ろで見守ってくれる人がいる…と。平田先生は進学校としての長崎南高校躍進の基礎づくりに関わった一人でしたから、心強く感じました。
 長崎南高校に慣れつつあった若い私は、ここの生徒はもっと伸びるはずだと信じ、とにかく問題を解かせました。休み時間中に教室に入り、机を回って授業開始前から宿題をチェックしました。宿題をしてこなかった生徒には理由をただし、厳しく叱責しました。その間、ほかの生徒は黙々と問題を解かなければなりません。緊張で静まり返った教室の様子を見たある先生に「まるで終戦直後の授業だ」と言われたこともあります。生徒の潜在能力を信じた指導ではありましたが、こんな指導で生徒は付いてくるのだろうか…と迷いがあったのも事実です。
 そんなとき、平田先生がある会議でこうおっしゃったのです。「生徒にはいろいろな仕掛けがあってよい。あの先生は怖いから勉強しよう、というのも一つの在り方だ」と。生徒にどこまで厳しくあり、どこまで求めるべきか、悩んでいた私には、まさに救いの言葉でした。「生徒の成長のため」という目的が同じなら、道はいろいろあってよいと教えていただいたのです。

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