私を育てたあの時代、あの出会い

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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 対外テストの成績分析を県内高校で比較していたところ、「県内だけでなく九州全体、そして全国の学校に目を向けなさい」とつくり直しを命じられたことがあります。小さな島の高校から来た私にはそれだけで視野が広がる思いでした。しかし平田先生のねらいは別でした。当初、学年団には他校の状況を見ても「うちにはうちの事情がある」という思いがありました。しかし、月日が経ち、全国の取り組みを参考にしたある教科の成績が全国比でぐんと伸びたことがわかる。すると、ほかの教科の先生は「うちにはうちの…」と言いわけできません。全国レベルで自校を見るうちに、学年全体が変わっていきました。「平田先生のねらいはこれだったんだ」とはっとしました。
 私はたくさん叱られもしました。学習合宿の日程に自習時間を設けると、「教師が楽をするのか? 質問に答える時間をもっとつくりなさい」。学校指定の問題集を使おうとすると「自由に問題集を持ってこさせて質問に答えないとだめだ」。どんな問題を持ってくるのかわからないわけですから、こちらもたくさん問題を解いて力を付けるしかありません。厳しい指導で生徒を伸ばす半面、教師も厳しく鍛えられました。先生との2年間はきつくて、そして自分の成長が実感できる日々でした。九州大合格者数が初めて40人を突破するなど、学校としても成長期を迎えました。
 平田先生は校長として他校に栄転されるとき、「私はあなたにとうとう一度も『やりすぎだ』と言わなかったね」とおっしゃいました。2年前の言葉の裏にあった平田先生の覚悟と器の大きさに改めて気づかされました。
 平田先生には多くを教わりました。そして今日まで私は、「進む道を迷ったときは苦しい方を選ぶこと」を自分の生き方としています。ここで楽な道を選んだなら、きっと先生から叱られるな…と今でも思うのです。
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