私は先ほど、「能は集中の芸能である」という話をしましたが、能のルーツをたどっていくと、むしろ当初は「解放の芸能」だったことがわかったのです。能が庶民から支持を得られたのも、観客がわっと沸いて心を解放できる娯楽性の高いものだったからなのでしょう。
では、能はいつから「解放の芸能」から「集中の芸能」へと転換したのでしょうか。おそらく江戸時代に入り、能が武家社会で「式楽(※4)(しきがく)」として取り入れられてからだと考えられます。当時の史料には、幕府が能役者に対して「おまえの芸はなっていない」といった通達を頻繁に出していたという記録が残っています。こうして娯楽性が徐々に削ぎ落とされ、より緊張感の高い芸へと変わっていったのでしょう。
能の演出や上演形態の変遷をたどっていくと、時代ごとに、どのような性質の芸能が、どのような層の人によって評価され、求められてきたかといった精神史(※5)や文化史が見えてきます。歴史というと政治的な事柄ばかりに目が向きがちですが、文化の歴史を探ることも、私たちがこれまで歩んできた道のりを知り、社会とは何かを追究していく上でとても意味があります。
今、私が最も関心があるのは、「能のような演劇が成り立つ歴史的条件」についてです。能が大成されたのは14世紀ですが、中国で演劇上演が盛んになったのは13世紀、ヨーロッパで今につながる古典劇が成立したのは16世紀と、ほぼ連続するのです。世界で立て続けに演劇が花開いた理由は何か。このテーマに取り組むには、西洋演劇や東洋演劇の研究者との共同研究が不可欠となります。
私は最初、観世寿夫の芸に感動して能の世界に入りました。学問の出発点は「好き」でよい。入口は能や演劇ではなく、ほかの分野でも構いません。「好き」から始まって、「人間の歩み」や「社会とは何か」といった深い問いにまで下りていけるのが、学問の面白いところです。 |