私を育てたあの時代、あの出会い

おおしま・かずひこ

おおしま・かずひこ

英語科。東京都立秋留台高校を経て、足利工業高校、栃木高校。05年度より栃木女子高校。2学年主任。

いなば・みのる

いなば・みのる

国語科。田沼高校を経て栃木高校。佐野高校定時制教頭、栃木女子高校教頭、栃木南高校校長を経て、08年度より現職。
※プロフィールは取材時(08年9月)のものです

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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私を育てたあの時代、あの出会い

先を見通し、一体感を持つことで生徒も教師も育った

栃木県立栃木女子高校 大嶋和彦

高校の3年間は短く、しかし、生徒のその後の人生を
大きく左右する重要な時間である。
将来、生徒が大人になったあと、教師がその姿を目にすることは少ない。
だからこそ、生徒の未来をくっきりと描く力が、教師には求められる――
真の喜びは未来にこそあるという、教師という仕事の神髄への気づきを、
栃木県立栃木女子高校の大嶋和彦先生が、
自らの成長の機会となった出会いの中に振り返る。

 栃木高校に赴任したのは今から15年前、32歳になった年でした。創立90年以上の進学校への異動でしたから、教科指導力を存分に高めたいと願っていました。しかし、同校で学んだのは何より「人を育てること」の奥深さでした。
 赴任初日の全校集会は今も鮮明に記憶しています。教師がマイクに手を伸ばすその気配を察知するや生徒全員がすっと静かになる。生徒会長の「一生懸命勉強しますので、よろしくお願いします」という力強い挨拶を聞きながら、この学校の教壇に立てる喜びと、これほどの生徒だからこそ、日本のリーダーとして大切に育てなければならないという責任を感じました。
 赴任2年目、私は1学年の担任を務めることになりました。そのときの学年主任が稲葉実先生です。私よりも九つ年上の稲葉先生は、穏やかだけれども存在感のある、まさに栃木高校の校風を体現したような方でした。生徒たちは、格調高く、しかも驚きや発見もある稲葉先生の国語の授業を「稲葉マジック」と呼んでいました。生徒一人ひとりの思考の成熟度を踏まえ、「一生懸命考えれば答えに手が届くところ」を見つけて、そこを目掛けて問いを投げかける。その絶妙さを生徒は「マジック」という言葉で称えていたのです。
 稲葉先生は私たち担任に「この生徒は、将来こんな分野で活躍する」「この生徒には、今のうちにこんな力を付けさせたい」といつも話をしてくださいました。よくこれほど先を見通して生徒を語れるものだと感動しました。そして、目の前のことだけを追いかけるのではなく、「生徒が社会に出て、自立した姿」から今を考え、その上で一人ひとりに合った言葉をかけることができる教師に私もなりたい、と思うようになったのです。

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