子どものころは両親の教育方針で、ピアノやヴァイオリンや絵を習ったり、劇場やコンサート、美術館に連れて行かれたりと、芸術に触れて育ちました。小中学校時代は国語や漢文が好きでした。当時の教育は暗記が中心で、漢字の書き取りをしたり、美しい文章を覚えたりと基礎を叩き込まれたことは、生涯の財産となりました。
中学時代、真面目に勉強した甲斐あって、旧制高等学校に合格し、親元を離れての寮生活をすることになりました。寮では、当時流行していた弊衣破帽(ぼろぼろの衣服と破れた帽子)の姿の先輩たちが、人生を熱っぽく語っていました。先輩たちから、「カントもヘーゲルも知らないのか」と圧倒され、人生の目標のない私は自分の無知を思い知らされたのです。
そこで自分がなすべきことを考えたあげく、日本の精神文化の根底の一つである仏教を勉強しようと思いました。しかし、両親に反対されながら進学した東京大の文学部では、仏教を学んでいたのはお寺の子弟ばかり。お経も読めない私は、ノートをとることもできず、授業に全くついていけませんでした。そこで皆が大学から学び始めるインド学を選んだのです。
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