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吉原先生の授業からは多くを学びました。まず、生徒を見ることの大切さ。集中力が途切れそうなタイミングで、ふと授業の流れを変えて、生徒を再び引き付ける。この感覚は相変わらず絶妙でした。しかし、同じ教師となってみて、分かったことは、吉原先生が教材研究など授業の準備を入念に行っていることでした。そしてそれは、授業だけではありません。先生は入学前の1年生の名前を覚えてしまい、気軽に生徒に声を掛けました。厳しい指導でも生徒を引き付けてやまないその魅力の秘密は、こうした地道な努力にあるのだと気が付いたのです。
私はもちろん、ほかの数学科の先生も、吉原先生に遅れを取るまいと、教材研究などに一生懸命取り組みました。ほかの進学校から転任された先生が「ここに来て前よりも10倍忙しくなった」と驚くほどでした。でも、正直つらいとは思いませんでした。「太田高校の躍進を支えているのは自分たち数学科だ」という自負がありましたし、生徒も「うちの学校の数学はすごいですよね」とよく言っていました。だから、感じるのはつらさではなく、やりがいでした。
「授業は、生徒が背伸びして届くレベルで」「上位3分の1の生徒を基準に授業せよ」。いずれも吉原先生から学びました。そして、そんな授業でも生徒が脱落せずついてくるという事実。まさに神業です。成績が振るわない生徒ほど吉原先生に質問し、成績が360人中350番の生徒が一橋大に現役合格する。あきらめない気風があの頃の生徒にはありました。「吉原先生に習って分からないのなら……」という言葉は、生徒たちの覚悟だったのでしょう。
私が母校に赴任して2年目に、吉原先生は定年退職されました。先生と働いたのは1年間だけでしたが、私には夢のような1年でした。退職の際、先生は私に愛用の指し棒を譲ってくださいました。太田高校を離れた今、年季の入ったその指し棒を見た生徒に「それ、どうしたんですか?」と聞かれることがあります。そんな時、私は「数学の神様から『しっかりやれよ』と授かったんだよ」と答えるんです。
私の教え子も既に10人以上が数学教師の道を選びました。現任校でも教え子の1人が「高橋先生のような数学教師になりたい」と数学科に進んだんです。吉原先生から学んだことを、次の世代に伝えられているのかなと、とてもうれしく思いました。 |
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