広島県立加計高校芸北分校のある芸北地域(旧・芸北町)で、「芸北学園構想」が提唱されたのは1990年代半ばのこと。地域の子どもを、地域の後継者として、地域で育て上げるために、保育園から幼稚園、小学校、中学校、そして芸北分校が地域住民と連携して次世代育成に当たろうというものだ。この構想において、学校教育の「出口」である芸北分校の存続・発展は、地域の過疎化に歯止めをかける意味でも特に重要であった。公共交通機関が発達していない芸北地域では、子どもを他地域の高校に進学させるには大きな経済的負担が強いられる。そのため、芸北分校が地域の中学生や保護者に対して求心力を失えば、中学生のいる家庭が芸北の外に居を移さざるを得なくなる、という事態も想定された。
そこで芸北分校は、01年度から「連携型中高一貫校」として隣接する北広島町立芸北中学校と教員の授業の相互乗り入れ、合同行事・会議、連携型入試などを行ってきた。また、地域の5小学校、1中学校と校長会議を毎月1回行うなど、綿密な連携を進めてきた。
だが、簡便な方法の入試しか行わない一貫教育では、生徒の学習意欲をいかに維持・向上させるかは共通の課題だ。芸北分校もこの問題に直面した。04年度、05年度と、2年連続して国公立大合格者がゼロになってしまったのだ。
こうした進学実績の低迷もあってか、05年度は29人だった芸北分校の入学者は、06年度は16人に減少した。このうち、13人は連携校である芸北中学校からの進学者であったが、それは芸北中学校の卒業生のおよそ半数に過ぎず、過去5年間で最低の数字だった。つまり、ほかの十数人は、芸北分校を選ばなかったのだ。
「いつしか地域では『芸北分校では学力は上がらない』『芸北分校に行くと難関大に合格できない』といった風評が広まっていました。例えば校外模試も高3になってようやく、希望する生徒だけが受験する状態。こういった状況では、生徒は、本当はA大志望だったのに、合格可能性の高いB大に変え、更に入りやすい専門学校にと、進学目標を下げていきます。しかし、それでは希望進路の実現とはいえません。本当の意味で生徒の希望進路を実現させなければ、この分校は地域から見捨てられる。私たちは、強い危機感を抱きました」(進路指導主事・加藤賢一先生)
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