ベネッセ教育総合研究所
関  靖直氏にきく
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「願い」と「ねらい」を明確にした教育を
 あと、もう一点大事なことは、「願い」と「ねらい」とを明確にした教育をすることです。
 「願い」とは「将来こうなってほしい」という期待目標であり、「ねらい」とは「いつまでにこういうことを身につけてほしい」という到達目標です。
 日本ではこれまで、こうした目標意識をあまりはっきり持ってきませんでした。その場、その場を一生懸命に、こまねずみのように働くことが評価されました。教育の世界でも、「どんな人間のあり方が望ましいか」の「願い」がないまま、ただ目先の課題に取り組ませるだけでした。その結果、限定された意味での優秀な頭脳は生み出したけれども、犯罪に走る若者などをつくり出すことになってしまいました。
 こうした、「一生懸命主義」やマンネリに陥らないためにも、「願い」と「ねらい」をはっきり持って活動してほしいのです。
 最近、よく、PDCAの必要性が説かれますが、こうした確かなかたちでの活動を展開するためにも、P(計画)とD(実行)C(評価)を貫く「願い」と「ねらい」をはっきりさせたいものです。
 今年のお正月のNHKテレビの番組で、大村はま先生のインタビューを見ていましたら、荷物の中に詰めてあった古新聞を切り抜いて、それを教材に授業をしたという話をされました。大村先生は、「子どもたちの言葉を確かなものにして、日本のある一面を切り拓きたい」という強い「願い」を持ち続けてこられました。そしてそのためには、教師は常に子どもの心をとらえる話題を持っていなければならないと言っておられました。だからこそ、荷物の中の新聞紙一つに目がいったのだと思います。
 習熟度別学習や少人数学習が流行だからといって、やみくもに実施するのは反対です。また、派手なアドバルーンを上げるのが学校改革だとも思いません。学校を変え、子どもたちを変えていくのは、「子どもたちにこうなってほしい」という教師の強い願いです。いい授業をするためには多少の苦労は厭わないという雰囲気が満ちてこそ、学校は変わっていくのです。
(談)


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