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教師の心がふるえる教材づくり |
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秋田 子ども一人ひとりの輝きを読み取り、レベルに違いのある子どもの意欲を引き出していくことは、なかなか難しいことだと思います。今泉先生が授業で心がけていらっしゃるのはどんなことですか?
今泉 教室に安心と人間的な自由が広がり、共同の学びが豊かに展開できるようにすることです。
そのためには、一つは、「間違い」を重視することです。子どもは、間違えて恥をかくことをとても怖がります。ですから、私は手を挙げない限り指名はしません。すると、子どもは「発言しない自由」が保障されるので、ひとまず安心します。最初は四、五人しか発言しなくても、議論が広がり意見が分かれていくうちに、自然と発言したくなっていくんですね。「間違ってもいいや」と、発言するのに抵抗がなくなってくる。そして、間違いそのものを授業に生かしていくことで、さらになんでも言える空気が教室に広がっていくわけです。そのような、主体的で内発的なものを育てていかない限り、うまくいかないのではないでしょうか。
二つ目は、授業の導入で、子どもの心を引きつけることが大事ですね。つまり、「集中」ということですが、私は集中とは、「させるものではなく生まれるもの」だと思っています。例えば、社会科の導入でこんなことをします。まずチャイムが鳴ったら、いきなり黒板に一本の線を引く。そして、「何県ですか?」と聞くわけです。そうすると子どもは驚いて、一瞬とまどった顔をしますが、そのうち子どものほうから、「海はどっちですか?」と聞いてくる。そこで、私は、「こちらが日本海です」と答えて、さらに島を二つ描き加えると、何人かの子どもは「あっ、山形県だ、新潟県だ」などと言い始めます。そんなやりとりで授業を展開していくと、集中力は持続します。
教材の質や面白さも問われます。面白いということは、教材そのものに教師自身の「心がふるえる」ということです。教育という仕事は、こちらがふるえない限り、相手に伝えることはできない。例えば、「2+3」という簡単なたし算(事例1)にも、ふるえる要素はたくさんあるのです。
秋田 今泉先生の授業の面白さは、日常生活のなかから見つけた素材を通して、授業のねらいの中核に至る指導の道筋を、体験や活動を組み入れながら丁寧につくっていかれるところにあると思います。この方法ができたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
今泉 私が授業で重視しているのは、子ども自身が推理・想像し、授業の課題に迫るということです。こう考えるようになったのは、ある強烈な体験がありました。7年ほど前のことです。理科の学習で、進化論とも重なるような素材をずっと探し続けていたんですが、書店でたまたま見つけた一冊の本が、『生物の消えた島』(事例2)でした。本の内容は、100年ほど前、噴火で生物が死に絶えたクラカタウ島に、再び生物がよみがえったという事実に科学者が迫っていく実話です。その絵本を読んでいて、ふと、「そうだ、子どもたちにはこの本を読ませないで内容をつかませてみよう」と考えたわけです。本に出ているいくつかの事実をもとにして、子ども自身が推理と想像力を働かせることで、科学者と同じ見解にたどり着いたのです。これには感動しました。23時間かけて授業をしたこの経験から、知の世界を豊かにするには想像や推理がどれだけ大切かということを実感しました。 |
事例1 ●「2+3」という簡単なたし算 |
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1年生の「たし算」の授業でした。ある子どもが、「2ひきのサルと3頭のゾウをたすとなんびきでしょう?」という問題をつくったのです。すると他の子どもたちとの議論が起こった。「計算だからできる」という子と、「サルとサルならたせるけど、サルとゾウはたせない、『サルゾウ』なんてできないじゃないか」という子と。ここから、議論をしていって、たし算というのは同質のものでなければできないのだと気がついたのです。ところが、「たし算というのはそれだけではないのではないか?」とさらに議論が続いていった。その結果「2ひきのサルと3頭のゾウをたすと、動物は全部でなんびきになるでしょう?」という問題にすれば成立するということに気づいたのです。たし算というのは、集合のレベルによって違うのだということを発見したわけです。 |
事例2 ●『生物の消えた島』(田川日出夫著 福音館の科学の本) |
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物語の展開にそって、私が事実を問いにして子どもになげかけます。例えば、「クラカタウ島で、史上最大の事件が起きました。何が起きたのでしょう?」。すると、子どもたちは口々にいい始めます。核戦争が起こった、島に人がはじめてやってきた、などなど。そこから消去法で絞り込んでいくと、噴火と自身と津波という答えが導き出されていく。次に生命はなぜ育ったのか、という問いを立てると、鳥が飛んできた、虫が飛んできたなど、いろいろな創造が飛び出してきます。でも、鳥は飛んできても食べ物がないから生きられない。それなら、きっと種が海水に運ばれてきたに違いない…。事実にそって議論を繰り返していくと、子どもの推理はピタリピタリと当たり、最後には見事に科学者の見解と一致。物語を読み切ってしまいました。 |
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