司会 小学校英語の必修化の議論は進んでいますが、位置づけは明確ではありません。議論の最後に、「教科」にすべきなのか、道徳のような「領域」なのか、それともどのように位置づけたらよいか、ご意見をお聞かせください。
片岡 教科にすべきだと思います。他の国も教科です。韓国の成果については、松香先生がふれられた通りです。韓国で教科として英語を小学3年生から習い始めた子どもが、2004年に高校1年生になりました。そこでその学年でその上の学年、つまり小学校で英語を学んでいない高校2年生の英語力をベネッセの「GTEC for Students」という3技能を計測する英語運用能力テストで比較したところ、高校1年生の成績がよかったのです。とくにヒアリングにおいて顕著な違いが出ました。
導入には前提として厳しい教員研修があったということですが、それが日本がめざすべきゴールであることは、論を待たないのではないでしょうか?
導入慎重論の一つに、「英語力よりも国語力」という議論がありますが、この議論の背景のひとつは、2003年にOECD加盟国41か国・地域を対象に行ったPISAという学習到達度調査の「読解力」の分野で、日本が3年前の8位から今回14位に落ちたことです。読解力が落ちたということは「国語力」が落ちた。そんなときに英語なんかやっている場合か…という話になったのです。
その「読解力」で1位にランクされているのがフィンランドですが、授業時数も少ないし少人数でゆったりとした指導をしています。ただ、早い時期から英語教育を実施しており、公用語もフィンランド語、スウェーデン語の2つがあります。そのように、PISAの上位国は1つか2つの例外を除いて、公用語が複数あったり、初等教育から英語教育をしていたりする国ばかりです。児童期から外国語にふれることで、母国語のコミュニケーションに向かう態度が変わることは、あちこちに実証例があります。「英語を勉強すると国語力が落ちる」という方には、データを見せてほしいと思います。
伯井 教科として位置づけるとなると、大学の小学校教員養成課程の見直し、教科書の策定、評価、時数確保等々、きわめてハードルが高い。それに、教科にすると、担任のウエイトがかなり高くなり、アシスタントティーチャーを中心にという授業は成り立たなくなります。だから、教科でも領域でもなく、「英語の時間」でいいのでは?
「総合的な学習の時間」との違いは、カリキュラムをしっかり示すこと。それも、全国統一の指針と、県レベル(○○県英語教育規準)のものとをつくることです。
私は、「教科」でも「領域」でも「時間」でも、その位置づけに重きを置く必要はないと思います。それよりも、目標と指導内容を詰めていったほうががよいと思います。
司会 「英語の時間」、なるほど、そういう手があるのかと思いました。
田尻 私には卒業後にも交流を持っている生徒が100人以上います。そのためもありますが、常々、子どもたちが30歳、40歳になったときの姿を考えながら授業をしているつもりです。「グローバルシティズン」という言葉がありますが、彼らには世界市民になってほしいのです。最近の世の中の状況を見ますと、簡単に人が殺されたり、少年犯罪が多発したりしています。そういうことがいつ身近で起こらないとも限りません。そんなとき、自浄作用、自治的な動きができる子どもたちを育てていくのが教師のいちばんの仕事です。
とりわけ、言葉を扱う教科の英語、国語は責任重大で、国をつくる基幹の教科。言葉を賢く使える子どもを育てることが使命です。その使命は小学校英語でも変わらないと思います。それを忘れると、スキルを追い求めるだけの教師になってしまう。根本的なところで、「子どもを育てる」「国を育てる」意識でかかわっていかなければと思います。
松香 シンガポールは1965年から英語政策をとりました。公用語の切り替えの時期に小学生だった方に話を聞くと、シンガポールが英語を使うようになって、細かい方言にこだわらなくなり、開放的で皆が仲良くなったと言われました。他者理解のために、英語は便利な道具なのです。
日本でも英語を取り入れた学校は、多くの方が学校を訪問するようになりますから、開放的で明るくなります。「サンキュー」「プリーズ」といった言葉をよく使いますから、マナーや共生の精神を学びます。これから、みんなが仲良くするための大きな実験場に臨みます。これがうまくいくと、日本の国際化は進んでいくと思います。
司会 小学校英語が必要かどうかの議論は1986年から行われていました。当時、OECD加盟国のなかで初等教育で英語を取り入れてない国は半分くらいでした。この20年の間に他の国はどんどん始めていて、気がつけば日本だけが出遅れているという状況です。20年も議論が続いているのは、強力な反対論のせいではなく、「本当にできるのか」という慎重論のためです。しかし、私は国民が立場を越えて一致して頑張れば、この国の英語教育はうまくいくと楽観的にみています。一人ひとりのお考えをぜひあちこちで発信して頂きたい。この講演会がそのための情報源になればよいと念じております。長時間にわたり議論していただき、ありがとうございました。
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