微生物の研究を本格的に始めたのは、北里研究所に入所してからです。研究所には、創立者であり伝染病の研究で歴史に名を残した北里柴三郎博士の教えである、「実学の精神」が根付いていました。また、私の師である秦藤樹(はたとうじゅ)先生は、抗ガン剤として使われているマイトマイシンの発見者であり、私も「なんとかして人に役立つような薬をつくりたい」と思ったのです。
志は高く掲げたものの、当時の研究所には十分な研究費がありませんでした。日本の研究者の研究費はアメリカの20分の1程度だったのです。私は世界中を飛び回り、経済的な支援をしてくれる企業を探しました。今でこそ国際的な産学協同研究は当たり前ですが、当時は珍しく、「企業の片棒を担いでいる」と批判的な声が少なからずありました。しかし、私は「よい薬をつくるには協同研究が必要だ」と周囲を説得し、研究を進めていったのです。
そして、年間2000~3000種類もの微生物を土壌から分離して調べ、微生物がつくる新しい化合物を探しました。化合物を見つけるだけでなく、それらの持つ作用を分子レベルや細胞レベルで解析、医薬品素材としての可能性を追求していったのです。
だれも知らない微生物を発見しようとしているのですから、そう簡単に研究は進みませんでした。そんなときは、自分の状況を高校・大学時代に熱中していたクロスカントリーに置き換えました。長距離競技では雪山を15㎞も走ります。コースの途中に必ずある上り坂で「もうダメだ…」と気持ちが途切れそうになることもありました。しかし、「この坂を越えればゴールは近い」と自分に言い聞かせ、次の一歩を踏み出したのです。高校3年から大学4年まで県大会で5年連続優勝し、国体にも出場できたのは、諦めかけたときに、ぐっとその気持ちを抑えて踏ん張ることができたからだと思います。頑張れば必ず結果につながる。これは研究においても同じです。辛いときこそ気持ちを奮い立たせ、前へ前へと進んでいったのです。
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