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低下した意欲や社会性は 教師・社会が変えていく
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今、最も課題となっているのは、子どもたちが学校における学びの動機を見いだせないでいることでしょう。その要因は三つ挙げられます(図1)。 |
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一つめは、高校・大学への進学率の向上です。1947(昭和22)年に現在の「6・3制」が始まり、多くの国民にとっては突然、全員が中学校に進める時代となりました。どのような環境にいる子どもでも、同じように教育が受けられる。その制度は、歓迎され、喜ばれたのです。その上、戦前とは違い、「志望すればだれでも入学できる」と標榜した解放的な高等学校制度ができました。この新しいルートができたことによって、多くの人々が「自分の未来は明るい」という希望を抱くようになったのです。
戦前の1941(昭和16)年には20%程度だった中等学校(旧制中学、高等女学校など)への進学率が、戦後どんどん上昇しました。大学進学を思い描けば立身出世のルートが見え、事実、それが保障されていました。大学に進学すれば社会的地位が保障されるというシステムが、子どもにとって学びへの動機付けとなっていたのです。
今に至っては、少子化などの影響で、高校と大学が「地続き」の関係になっています。かつて、大学は一生懸命に努力しなければ入れない場所でした。しかし今は、さほど受験勉強をしなくても、選り好みしなければどこかの大学に入れます。「学びの動機付け」としての大学入試、上昇志向が、一部の子ども以外には機能しなくなったのです。
二つめは、高度成長に伴い、子どもが「消費者主権主義」になったことです。かつて、子どもは「家族の中で働く、手伝う」という労働者としての面が大きくありました。ところが今は、子どものころに働くことはほとんどなく、「何かを与えられる」「サービスを受ける」という消費者として育てられています。自ら欲したり努力したりしなくても生きていけるので、ことさら能動的に勉強しなければならない理由を、見いだしにくくなっています。
三つめは、子どもにとって、学校に行くことの意味、学ぶことの意味が大きく変わっていることです。学校に行かなくても、テレビやインターネットによって情報が手に入るようになり、授業を通して知らないことを知ることに驚きや喜びを感じることがとても少なくなりました。
これら三つの要因のために、子どもにとっては、かつて「行かせてもらう」「行ってもよい」場所だった学校が「行かなければならない」場所となり、「学びの動機付けの装置」が機能しない状態になっています。こうした状況にある子どもへの教育は変わるべきですし、教師の教え方、教科や評価の在り方も変わらざるをえないのです。
更に、都市化や少子化、核家族化などに伴い、人と人との関係を通していろいろなことを学び、成長し、大人になっていく場が減っています。特に異世代間の接点が少なくなり、社会性が育つ枠組みが機能していません。昨今の子どもや若者は社会性に欠けるとよくいわれますが、子どもや若者の責任ではないと私は思います。
このような状況で、今の子どもは社会性がないといっても始まりません。「社会化(socialization)」の装置が働くような共同体の再構築に、社会全体の責任で意図的・意識的に取り組まなければならないのです。 |
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