夏休みが過ぎても、私たちが厚紙を貼る日々は続きました。次第に私は、単に厚紙を貼るだけでは面白くないなと思い始めました。「もしかして生徒が何か感じてくれるかもしれない」と思い、厚紙に「こんなことをしても意味がないよ」と書いたり、日付と自分の名前を記したりしました。
あるとき、「穴が空いている」と生徒に知らされて駆け付けると、壁ではなく、私たちが貼った厚紙にポツンと穴が空いていました。生徒は少しずつ変わっている――。居合わせた教頭と思わず顔を見合わせ、うなずきました。
そして、秋ごろのことです。教頭が穴に厚紙を貼っていたときでした。
「先生、大変そうだな……」
穴を空けていたと思われる生徒が近寄ってきて、ボソッとつぶやいたそうです。それ以来、壁に穴が空くことはなくなり、私たちが空き箱を家から持ってくることもなくなりました。
当時、教師間で考えの違いが多少あっても、学年全体、学校全体を良くしていきたいという気持ちはお互いに持っていました。思春期の子どもには気持ちを抑えられずにいら立つのはよくあることだと受け止め、紙を貼る作業を楽しむくらいの気持ちでいました。そうしなければ、生徒の心の余裕がなくなってしまうからです。だから、どの先生も「犯人捜し」をすることなく、待つ指導ができたのだと思います。
教師の足並みがそろってさえいれば、生徒は確実に変わっていく――。私はそう実感しています。
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