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「標準」から「最低基準」へと転換した学習指導要領
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「標準」から「最低基準」へと転換した学習指導要領
 そこで、今年になりまして、文部科学省もスローガンを変えました。新しいスローガンは「確かな学力と豊かな心」といいます。当たり前というか、インパクトがないですが、教育というのは基本的に当たり前のことなんです。一点豪華主義で素人を騙すような教育のスローガンをつくっちゃいけないし、あるいは、見せかけだけで素人をうならせるような教育活動をやってはいけない。だれが見ても「ああ、なるほどなあ」とね、「いろんな要素が入っているなあ」「いろんなことに目配りしているなあ」とね。目を引く派手さはないけれども、親が、「これだったら安心して、子どもを任せられる」と思うような教育をしなければいけない。
 2003年になって、やっと行政がそちらの方向に向かっています。しかし残念ながら、現場はまだ不安に駆られています。そして一部マスコミがその不安に便乗している。別の言葉で言うとマスコミ関係者の不勉強です。いつでも「絵になる」もの、センセーショナルなものばかりを求めていく。例えば、今年5月、広島県の尾道市立土堂小学校の校長になられた陰山先生の特集番組を放映していました。タイトルは「基礎・基本…」というタイトルだったと思いますが、映していたのは、校長さん自らが百ます計算を子どもたちにやらせ、ストップウオッチを持って子どもたちの間をうろうろしているという姿でした。
 当然、陰山先生は、百ます計算以外のこともやっておられるはずなんですよ。というのは、赴任される前に「私は学力保障も成長保障も両方やりたい」、つまり「見える学力」も、見えにくいところで実現していく人間的な成長も、両方やりたいとはっきりおっしゃったんです。校長として赴任する学校の経営理念としておっしゃったわけです。つまり、見える学力だけを、しかもそれを百ます計算という一つの手法だけでやるということは一切考えておられないはずなんです。しかしマスコミに出てくるのはその場面だけ…。
 今、行政はやっと、「見える学力も見えにくい育ちもどちらも大事だ、バランスをもう一度回復しよう」という当たり前の方向にきているわけです。にもかかわらず、現場ではウソみたいなマンガチックなとらえ方があります。すなわち、「確かな学力と豊かな心」というのは、結局は「百ます計算」と「心のノート」か、と。これは噴飯物ですが、しかし、これが単なる笑い話で済まないところに今の悲劇があると思っています。
「基礎・基本の徹底」という方針が出てきた2001年の1月、「この基礎・基本というのは、単なる表面的な知識・理解・技能じゃない」ということも言ったんです。なかなかそれが現場に届きにくかったということが問題なんです。実は「確かな学力と豊かな心」は、2001年の1月の方針転換のなかにすでに入っていたので、これをもう一度見直さなければいけないのです。
 これを象徴的に示すのが2002年2月末日に国立教育政策研究所教育課程センターが国の参考案として出した評価規準です。これは、こういう考え方に立っているんです。
 まず、2001年の1月からいわれた「学習指導要領は最低基準です」という考え方をまず踏まえています。ご存じのように、2000年までは「学習指導要領は標準」といわれてきました。今年になってからも、「最低基準化を図る」という表現で、「2000年までの学習指導要領の性格づけとは違う」ということを文部科学省はいっています。あとで申し上げますが、中教審に対して文部科学省は「学習指導要領の基準性をもう少し明確にする」といっています。いずれにせよ、2001年から学習指導要領の性格づけを変えたわけです。
 つまり、これまでは学習指導要領は「標準」でしたから、「できるだけこれを踏まえて教育をする」ということであって、子どもがそこまで到達しなければならないとは一切言ったことはなかった。到達できる子が多ければ多いほどよいが、そこまで到達できない子も出てくるというのが暗黙の了解だったわけです。ところが2001年からは、「学習指導要領まで到達できない子については補充指導をしましょう」という言い方になってきたわけです。2001年に小野元之文部科学省事務次官(当時)も言いましたし、2001年の初めに出た遠山大臣の「学びのすすめ」というアピールのなかでも言われています。
 どの子もある基準まで到達しなければ、宿題を出すなり補習をすることが必要だという考え方は、何も新しいものではありません。ベンジャミン・ブルームが言い始め、世界各地で大きく影響力を持ち、日本でも陣川先生などはもう20年近く前から、福岡教育大学附属中学校で「マスタリーラーニング」「完全習得学習」というかたちで実践されてきています。ただ、行政がハッキリとこういう考え方を言ったのは初めてです。しかも、「学習指導要領は最低基準だから、同時に授業の中、あるいは授業の外で、発展学習も考えてください」ということを小野元次官も遠山大臣も言っているわけです。これはある意味では2000年までの教育指導の哲学とはまったく違う哲学です。
 では、学習指導要領が最低基準だというのは、具体的にはどういうことなのか? 
 学習指導要領には指導する事項しか書いてありません。それを子どもたちにどういうかたちで身につけたさせらいいのかとか、最低理解させなければならないこと、身につけたい力、関心を持ってほしいこと等々の具体的内容・事項は書いてない。だから、2002年2月末の評価規準でそれを教育目標として具体的に示したわけです。
 先ほども申し上げたように、一部では「基礎・基本の徹底」と突っ走っていたので、「知識・理解・技能だけではダメですよ」と念を押し、「しかし、ゆとり教育のときに言われたような関心・意欲・態度だけでもダメですよ」と。つまり、「4観点で示されるものは、有機的に絡み合っているから、全部が大事」というかたちで評価規準を出したわけです。これが2003年から強調されている「確かな学力と豊かな心」の具体的な中身です。
 
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