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教育には父性原理・母性原理、両方が必要
これからは、これをどう受け止めて、どのように実践に生かしていくかということが大きな課題になってきています。
というのは、まず第一に、今申し上げたように、ゆとりから基礎・基本重視への転換がうまくいっているかどうかの問題があります。これを現場レベルで、例えば授業、子どもとのかかわり方などをどのように転換をしていくのかの問題がまずあります。
つまり今までは、何か腫れ物にさわるようなかたちで、「子どものいいところだけ見ていきましょう」なんてことを言っていましたが、これからはいいところも悪いところも見ていかなければならない。ただし、子どものなかには自信のない子やすぐに落ち込んでしまう弱さをはらんでいる子がいます。そういう子には、いくら悪いところが見えていても、できるだけいいところしか言っちゃいけないんです。ただし、そういう場合でも、いいことばかりでは独善的になりますから、ときには「これはまずいよ」ということを言うべきです。しかし、自信満々の子がいますし、何を言われても落ち込まないような強靱さを持った子もいます。私も20歳前後にはそう言われてたんですよ。「自信が背広着て歩いている」と。客観的な根拠もないのに、自信だけは持っていたんですね。しかもどんなに先輩や指導教官に叱られてもこたえない。当時の私のような人間には、厳しいことを言わないと伸びない。自信を持っている子、強靱な子は、ほめていたらダメになるんです。そういう教育心理学の研究があります。
一律にいいことだけを見ていくというような、べたべたの甘やかしがいい子どもを育てていくというような考え方はダメなんですよ。子どもが育っていくには、父性原理と母性原理、どちらも欠かせません。大きく包むような母性原理も必要だけれども、ダメはダメ、これはこうすべきというようなことを言っていく父性原理も必要です。「ゆとりの教育」のなかでは、残念ながら、母性原理だけで全てがうまくいくかのような、とんでもない浅はかな論議がありました。この、母性原理と父性原理の両方が必要であるということを、これからの指導のあり方、子どもとの取り組みのなかで生かしていかなければないけない。これが大事な課題です。
ただし、父性原理は男の人が体現するとか、母性原理は女の人が体現するとか、そんなことではない。これは原理の問題ですから、今はだいたいその逆が多く、家庭でも、「厳しいお母さん、優しいお父さん」が一般的です。これはちょうどいいんです。学校の先生も優しい人ばっかりじゃだめなんです。母性原理だけで育てると、子どもをスポイルし、だめな子を育てるんです。
だから、父性原理、母性原理が備わった学校の雰囲気をつくらなければいけない。小学校の低学年では母性原理を中心にし、そこに父性原理が若干入ってくる。高学年になるに従って父性原理の割合が増えていく。中学校になれば父性原理はかなり強くなる。しかし、その場合でも母性原理もなければいけない。発達段階に応じて父性原理と母性原理を使い分けていく指導の仕方というものをこれから確立しなければいけない。
「子どもはいいところだけを見て育てればいいのか、それともスパルタ教育でピシピシ鍛え上げたらいいのか?」という二者択一は素人論議です。教育のプロが素人論議に踊らされたらいけないんです。それからもう一つは発達段階を考えること。これを第一の課題としなければいけないだろうと思います。
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